1905年、日本とロシア帝国は日露戦争の終結に際して、その直接原因になった大韓帝国(以下:韓国)を保護国という名で日本の管理下に置くことをポーツマス条約に明記した。また1907年の日仏協約でも同様に日本の韓国における優位性が認められた。
1905年、第二次日韓協約が結ばれ、韓国皇室の存続と、韓国の外交権の日本への移譲が決まる。日本は韓国に朝鮮統監府を置き、伊藤博文を初代統監に任命した。
1907年、所謂ハーグ密使事件の失敗により、第三次日韓協約の中で韓国政府は内政権も日本に移譲する。1909年、日本政府は韓国併合を閣議決定。同年、併合反対を説いていた伊藤博文がハルピンで暗殺される。
1910年8月22日、韓国併合条約が結ばれ、29日公布。日本が韓国を併合し、朝鮮総督府を置く。韓国は消滅し韓国人は日本国籍となる。これに伴い、韓国に残っていた身分制度が廃止された。