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概要編集

CV:諏訪部順一


蕨青南高校サッカー部監督。だが、練習および試合には欠かさず顔を出すものの、練習メニューを発表する以外は全く指示を出さないどころか選手の様子を見ようともせず競馬雑誌をひたすら読んでいる。その怠慢ぶりに選手達は呆れ果て、ほぼ毎年最上級生が3年生に進級する直前に集団退部するという悲惨な状況を引き起こしている。

このようにダメ人間ぶりを発揮しているが、選手達に全く無関心というわけではなく、2年生部員が男子サッカー部監督の説得に悪戦苦闘しているのを目の当たりにした際は、彼女達が居ない時に男子サッカー部監督が片思いしている養護教諭の写真を利用して2度にわたり巧みな話術で交渉し、彼の態度を軟化させることに成功するという策士ぶりを発揮した。


なお、生来の無気力ではなく、若い頃は各世代別代表のエースストライカーとして活躍し将来を嘱望された選手だったが、U-23代表の合宿中に膝に選手生命を縮める重傷を負い、3度の手術とリハビリを重ねて懸命にプレーしたが全盛期のパフォーマンスを取り戻せず早期引退し、その後監督のライセンスを取得して引退から数年後にJFLのチームの監督に就任し、初めのうちは大胆な戦術と積極的な若手起用でチームを躍進させたが、出場時間を減らされたベテラン選手達が反発し、自分達だけでなく若手を脅しての練習ボイコット、社長へ解任要求を直訴するといったクーデターに等しい暴挙を繰り広げチームを空中分解させ、彼自身は一連の騒動の責任を取らされる形で解任されるという悲劇的な体験をし、それ以降現在のような無気力な性格になってしまった。


だが、浦和邦成戦のハーフタイムにが真剣な顔で「どうやったら勝てる?」と聞いてきた際、彼女の決して諦めない気持ちと情熱に心を動かされ、「26番…あいつをぶっちぎれ!」とシンプルな指示を出し、希が後半戦で最高のパフォーマンスを披露するきっかけを与えた。更に、該当描写は無かったものの、希に指示を与えた後DF陣に「身体寄せろ、コース限定しろ。」と指示を与えていたことが試合終盤の選手の台詞によって判明した。


そして、浦和邦成戦後は指導者としての情熱が甦り、関東近郊の高校を対象としたリーグ戦に参加することになった際は、大会開始までの期間に能見コーチが苦手な守備の戦術を徹底的に叩き込んだ。


ちなみに、競馬雑誌を愛読しているのはギャンブラーだからではなく、馬そのもの(特に小さな眼)が大好きだからで、ギャンブル行為は一切やらない。

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