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的を得る

まとをえる

「的を得る」とは、かつて誤っているとされた慣用句である。
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核心をつく、要点をおさえるといった意味である。

誤用説の辿った経緯


一時期、「『的を射る』を言い間違えたものか、似た意味の『当を得る』と混同されて生じた誤りである」とする説が存在したが、その誤用の発生時期や、誤った情報が拡散・定着する様子を表す決定的な文献資料や統計情報は無かった。

三省堂国語辞典は1982年より「的を射る」の項目に「誤って『的を得る』とも」と記していたが、他の辞書は必ずしもこれに追随するものではなく、三省堂国語辞典自体も2013年の第七版より誤用説を取り下げ、「的を得る」に独立した項を与えている。

平成24(2012)年には文化庁が「的を得るは誤用」とする立場でアンケート調査を行っているが、このアンケート自体が根拠の乏しい誤用説を拡散する一助となってしまった可能性もあり、
調査手法や結果の発表しかたに関しては疑問の声もある。

語源に関する議論の顛末


「的を射る」ないし「当を得る」の誤用とする説では、戦後になって生じた言葉の乱れの一つと考えられたが、前述の通り根拠の薄い説であった。
一時は
「古くから『正鵠(的の中心を示すしるし)を射る』という表現があり、そこからの派生表現であるため正当な由来を持つ『的を射る』が正しい」
とする説が散見され、
言わばライバルである「的を射る」の正統性を強調する事で「的を得る」の地位を下げ誤用説を補強しようとする動きが見られたが、
逆にそうした来歴を探る動きの中で「正鵠を得る」という表現も古くからあった事が確認され、
語源の面から「的を得る=近年に生じた言葉の乱れ」とする説は完全に否定されてしまった。

正鵠を得るはいいけど的を得るは駄目なの?

「的を得る」をどうしても誤用と決めつけたい一部の(専門家ではない)論者は、正鵠を得るという古典由来の言葉がある事を知っても諦めきれず、
主張を一部後退させて「『正鵠を得る』は古典由来で正しいが、『的を得る』はそれとは関係ない誤った表現である」という主張で一部ネット上において再び論陣を張ろうとした。
ところがその時には既に、正鵠を得るの語源探査の過程で江戸時代頃には「正鵠を得る」と「的を得る」が混用されていた事も判明していた。
中には有名な滝沢馬琴が「正鵠」と書いて「まと」と振り仮名をつけている中間的な例などもあり、「的を得る」が難しい言葉である「正鵠を得る」を簡略化して出来た派生語であり、しかもかなり歴史が古い言葉である事は明らかだった。

こうして、「的を得る」誤用派の第二防衛ラインは長期の論戦に耐える事もなくあっけなく瓦解した。

意味論的決着


元来、「得る」は可能や達成、理解や習得といった意味を表すのに使うことがあり、「的」も要点や核心を意味する比喩として普通に使われていた為、日本語に習熟したネイティブスピーカーであれば「的を得る」と聞いて「要点を理解する」といった意味に取るのはさほど難しい話ではない。

一部に存在する「的を得る」という言葉を「射撃競技に用いる標的の所有権を手にする」といった意味にしか解釈できないとする見解は意味を過剰に限定した曲解であり、この言葉の解釈として一般的ではない。
言わば「湯を沸かすは誤った表現で、水を沸かして湯にすると言うのが正しい」といった小咄と同列の、よく言えば言葉遊びを含んだジョーク、悪く言えば頭の悪い揚げ足取りとでも言うべきもので、学問における一つの「説」と呼ぶ程のものではない(かつて語用論を専門とする大学教授などにもこの様な低レベルの意見が見られたのは問題だと言えよう)。

これは国語を苦手科目としない人であれば中高生から自力でたどり着ける結論であり、現状では「『的を得る』では意味が通じないので誤用」とする反論は学習水準の低い無知な人が行うものと見なされている。

昔の大人たちは相手にしていなかった?


文化庁の調査でも、30年近くに渡って「的を得る誤用説」が流布したあとの2012年ですら四割以上の人が「的を得る」を用いるとしていたが、 この原因も「そもそも一般的な語彙と文法の範囲で意味が通っており、由来が何処にあろうとも誤った表現だと考える根拠がない」点が非常に大きいと思われる。

基本的にネイティブの言語感覚とは自分自身が経験した大量の用例によって形成されるものであり、辞書による学習はその極めて限定的な一助を担うに過ぎない。
日本語体験の豊富な大人が辞書辞典というものを読めば「この本よりも自分の方が正しい日本語を知っている」と感じる事は別段不思議ではなく、またそれは悪い事とも言えない。
(簡単に言い直すと、辞書より日本語に詳しい日本人はそこら辺にゴロゴロしているのが常識という事。)

詳しい事は詳細な意識調査でもしてみない事には解らないが、「的を得る」を使い続けた人の中には誤用説を知らなかったのではなく、知っていたが信じなかったおっさん、おばはんが一定数存在している可能性がある。
日本人は庶民と言えども教育水準が高い為、例え偉そうな肩書きの博士が唱えた説だとしても、しっかりと証明されていない仮説を相手にしなかった人が多く誤用説が普及しなかったという事は充分に考えられる。

「的はゲットするものじゃない」は英語が間違ってる?


ネット上の議論で「的を得る」を誤用と考える人がよく発する台詞で「的はゲットするものじゃない」というものがある。
これは勿論、前出の「射撃競技に用いる標的の所有権を手にする」という、意味を狭く捉えすぎた不自然な解釈を横文字を用いて言い換えたもので、論理としては破綻していることは既に解説済みである。

ところでこの理屈にはもう一つツッコミどころがある。
ゲット(get)には「分かる、理解する」という意味で使う場合もあるし、「移動がある位置に到達する」という意味もあるのだ。
話の要点をゲットしても良いし、矢が的にヒットする代わりにゲットしてもかまわない。
つまり日本語で考えても「的は得られる」し、英語で考えても「的はゲットできる」のである。
「的はゲットするものじゃない」という台詞は日本語と英語で二重に間違っているという大変恥ずかしい理屈なので、使っている人を見たら是非、訂正してあげてほしい。

「不失正鵠→正鵠を得る誤訳説」も日本語と英語が間違ってます


知ってる人は少ないと思いますがそういう説があるんです!(詳細端折り)

「漢語の失にはlostとmissの意味があるが、日本語の失うにはlostの意味しかない、よって不失正鵠を正鵠を得ると訳したのは誤訳である」

さて、何処がおかしいでしょう?
まずmiss(過去分詞missed)とlose(過去分詞lost)はある分野において同義語です。
両方に「情報を見逃す、真相や要点を理解しそこなう、分からなくなる」という意味がありますので
「違う意味の言葉を間違える例え」として不適切です。

多分「漢語の失は『外れる』や『のがす』という意味もあるが、日本語の失は完全になくなるという意味だけで失敗の様なニュアンスがない」と言いたいのでしょうが…
はい、国語が得意な皆さんはもう解りましたね?日本語の失にも「のがす」「しそこなう」といった意味はあります。
つまり、特に情報や要点をのがす、という意味においては

漢語の失
=
miss(missed)
=
lose(lost)
=
日本語の失

これは完全に成り立ちます。
「得る」に「理解する」意味がある事をふまえると、
「不失正鵠(要点がわからなくならない)」

「正鵠を得る(要点を理解する)」
という訳はほぼ適切と言えます。

(以上、高卒以上なら説明しなくても分かるレベルの事なのよね…)
…「的を得る誤用説」派の皆さんは、もう英語を使った例えはやめた方が良いんじゃないですかね…

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