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福士加代子

ふくしかよこ

日本の陸上競技選手。長距離走(5000m、10000m)、駅伝、マラソンで主に活躍して、オリンピックに4回出場。2013年の世界陸上モスクワ大会のマラソンの銅メダリスト。
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概要

日本陸上競技選手(1982年3月25日生まれ)。陸上選手としてのキャリアは「トラックの女王」と呼ばれた2000年代と、マラソンに本格挑戦するようになった2010年代以後に大別される。

笑顔を絶やさない姿勢や、キャリア初期にトレードマークとしていた「ちょんまげヘア」のスタイルなど、独特のキャラクターも彼女の大きな特徴である。実際、全国女子駅伝で、終始満面の笑みを浮かべながら走ったり(いわゆる「微笑み走法」、沿道の観客に手を振りながら走るエピソードを持つ。

3000m、5000mの日本記録保持者であり、10000mでも日本歴代2位の記録を持つほか、毎年1月に京都で開催される全国女子駅伝の9区の区間記録(30分52秒。2004年)の保持者でもあり、2013年の世界陸上(モスクワ大会)では銅メダリストに輝いた。また、特に長距離走選手時代は、ほぼ同世代である渋井陽子赤羽有紀子らとライバル関係を築いてきた。

オリンピックに4回出場(アテネ、北京、ロンドンでは長距離走選手としての出場、リオデジャネイロではマラソン選手としての出場)。また、大阪国際女子マラソンで2回の優勝をしている(2013年、2016年)。このように、記録にも記憶にも残る女子陸上選手であるといえる。

人物、経歴

青森県出身。高校時代までは目立った実績はなかったが、卒業後にワコールに入社してから、一気に頭角を現すようになる。

2002年1月、全国女子駅伝に京都の9区(アンカー)で出場して、優勝の原動力になった(ワコールの拠点が京都であるため)。このときの「ちょんまげヘア」は、以後数年間、彼女の代名詞的なすたいるになった。同年の日本選手権の5000m、10000mを初めて優勝。この年に出した3000mのベストタイム(8分44秒40)は、2019年1月現在でも日本記録である。

2004年、全国女子駅伝に、自身の出身地である青森から出場。9区で出場して、「30分52秒」の区間記録を打ち立てた(この区間記録は、2019年1月現在でも未だに破られていない。それどころか9区で30分台を樹立した選手自体、このときの福士が唯一である)。この年の8月のアテネ五輪に、10000mの選手として初出場。しかし結果は26位(ブービー)の惨敗だった。

以後、2007年まで、日本選手権の10000mで6連覇を果たす。このときには、いつしか「トラックの女王」と呼ばれるようになっていた。また、2006年には全国女子駅伝に、京都の9区で出場して、優勝に貢献した。一方で、2007年の世界陸上(大阪大会)の10000mでは、レース中に靴が脱げかけて履き直すハプニングに見舞われてしまい、14位に終わってしまう。

2008年1月の大阪国際女子マラソンにて、初マラソンに挑戦(一般参加での出場)。30kmまでは独走状態になるも、その後突如失速。35km過ぎからはジョギング状態に陥り、ゴールになる長居陸上競技場に入ってからは、3回も転倒してしまう。なんとか完走はしたが、19位(2時間40分54秒)の惨敗に終わり、その後、マラソン再挑戦までは3年10か月の歳月を要することになった。
この年の6月の日本選手権では、これまで6連覇中だった10000mで、ライバルである渋井陽子に優勝をさらわれて(2位は赤羽有紀子)、3位に終わったが、北京五輪では5000m、10000mの2種目での出場を叶えた。10000mでは11位(日本選手では最上位)、5000mは予選落ちだった。

このときを機に、「ちょんまげヘア」「微笑み走法」は事実上封印(また、所属するワコール社内で年長格になったことも影響したといわれる。2010年に、妹分として目を掛けていた湯田友美が引退したことも影響してか、より「姉御肌」傾向に拍車が掛かるようになった)。ただし取材対応、お立ち台やゴールシーンなどでは、「福士スマイル」を惜しげもなく見せる一面も持ち続けていた。

2011年、日本選手権を故障のため欠場。2003年から4大会連続で続けていた世界選手権出場がストップすることになった。この年の10月、シカゴマラソンの出場で自身2回目のマラソン挑戦。2時間24分38秒(3位)の自己記録を打ち立てて、これを機にマラソンに本格挑戦するようになる。

2012年1月の大阪国際マラソンで3回目のマラソン挑戦(国内レースでは2回目)。30km過ぎからまたも失速してしまい、2時間37分35秒(8位)に終わり、ロンドン五輪はトラック(長距離走)で挑戦することになった。
同年6月の日本選手権では、10000m、5000m共に2位に終わるも、この2種目で3大会連続の五輪出場を叶えることになった(10000mの優勝は吉川美香、5000mの優勝は新谷仁美)。

迎えたロンドン五輪(2012年8月)。10000mで、他の日本人2選手(新谷、吉川)と共に、先頭集団でレースをつくり、大いに見せ場をつくったが、レース終盤は力尽きて、結局は10位(31分10秒35。なお新谷は9位、吉川は16位であった)。「3度目の正直」と位置付けた10000mでの8位入賞という悲願はまたも叶わなかった。なお5000mは、3大会連続での予選落ちになっている。

ロンドン五輪以後は、マラソンに選手活動の軸足を置くようになる。4回目のマラソン挑戦になった、2013年1月の大阪国際女子マラソンでは、ほぼ終始レースの主導権を握っていたが、競技場に入る直前でウクライナの選手に逆転を許して、惜しくも2位(2時間24分21秒。自己ベストを17秒更新)。しかし後に、ウクライナの選手がドーピング違反をしていたことが明らかになり(失格処分になり、優勝取り消し)、2015年11月に繰り上げ優勝。これが自身初めてのマラソン優勝になった。

2013年8月、世界陸上(モスクワ大会)にマラソンで出場(世界陸上の出場自体は2大会ぶり5回目だが、マラソンでの出場は初めて)。3位(2時間27分45秒)でゴールして、晴れて世界選手権の銅メダリストになった(五輪、世界選手権を通して、自身初めてのメダル獲得になった。なお、アジア大会では金メダル1つ、銀メダル2つを獲得している)。

その後、2014年にベルリン、2015年にシカゴのマラソンに出場した後、2016年1月、大阪国際女子マラソンに出場(国内レースでは3年ぶり4回目の出場になる)。終始レースをリードする展開で、2時間22分17秒で優勝(自身2回目の優勝だが、2013年の大阪では繰り上げ優勝だったため、自身初めての優勝インタビューの栄誉に浴した。このときに「やっと取ったよ、1等賞。リオ決定だべえ!」と喜びを爆発させたが、後にリオデジャネイロ五輪のマラソン選手の選考の紛糾の一因(ウィキペディアへリンク)になってしまう。結局、大阪での優勝がものをいい、3月17日に晴れてマラソン選手として初めての五輪(リオデジャネイロ大会)出場が叶うことになった。

迎えたリオデジャネイロ五輪(2016年8月14日)。マラソン選手としての五輪出場という晴れ舞台であったが、序盤から苦戦を強いられる展開で、結局は14位に終わった(ただし日本人3選手の中ではトップの成績であった)。

2017年3月に結婚。2019年1月現在も現役続行中である。

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