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鈴木亜由子

すずきあゆこ

日本の陸上競技選手。長距離走(5000m、10000m)、駅伝、マラソンで主に活躍して、2016年のリオデジャネイロ五輪に出場。
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概要

日本陸上競技選手(1991年10月8日生まれ)。「あゆちゃん」の愛称で親しまれる。

中学校時代から社会人になる現在(2019年1月現在)まで、ほぼ一貫して世代のトップ選手として活躍し続けているが、後述のように、その実績以上にエピソードに事欠かない選手でもある。

特に全国女子駅伝での愛知チームでの活躍が有名で、2019年1月現在、10回出場(全て愛知での出場)しているが、このうち2回の優勝の原動力になっている(2016年、2019年。いずれも9区[アンカー]での出場。特に2016年大会は1分37秒差を逆転優勝して「奇跡の大逆転劇」と呼ばれた)。


2015年の世界選手権(北京大会)、2016年のリオデジャネイロ五輪で、5000mで出場した。


人物、経歴

愛知県豊橋市出身。小学校時代から、地元の陸上クラブで陸上競技を始める(当時は主に中距離、走り幅跳びをしていたという)。中学校では通う学校に陸上部がなかったので、バスケットボール部に所属しながら、地元の陸上クラブで陸上をする「二足のわらじ」生活であった(なお本人曰く、バスケットボールも小学校時代から陸上と並行して取り組んでいたという)。

2005年(中学2年生)、全日本中学校陸上競技選手権大会(いわゆる「全日中」)で800m、1500mの2種目で優勝。2006年1月に、全国女子駅伝で愛知の一員として初出場して、3区で区間賞を獲得する。

翌2006年(中学3年生)の全日中でも1500mで優勝。2007年1月の全国女子駅伝でも3区で区間賞を獲得する。また、3000mでは9分10秒71(当時の中学歴代2位)を記録しており、このときには既に「天才少女」として陸上界では有名な存在になっていた。なお本人曰く、中学2年生のときに、当時スター選手であった小林祐梨子に会えたときの経験が、陸上で生きる大きな原動力の一つになったとのことである。


2007年4月、時習館高等学校に進学(愛知県東三河地区ではいわゆる「no.1公立校」といわれており、藩校を事実上のルーツとしている)。しかし高校時代は、2回にわたり右足の甲の疲労骨折の大けがに見舞われてしまい、高校生活のほとんどを「怪我との闘い(リハビリ生活)」に充てることを余儀なくされてしまう。競技の第一線に復帰できたのは2009年(高校3年生)であり、インターハイの3000mでの8位入賞、及び翌2010年1月の全国女子駅伝(1区)の出場しか、目立った戦績を残せなかった。


2010年4月、名古屋大学に進学。本人曰く、「男子選手と一緒に練習ができて、自分のペースでのびのびとやれる環境」が進学の動機であったという。

大学時代は、2010年に世界ジュニア陸上選手権に出場。2011年、2012年と、日本インカレ5000mで優勝。2013年7月のユニバーシアードで10000mで優勝、5000mで2位の成績を残す。また、全国女子駅伝でも4年連続で1区に出場した(高校3年生時を含めると5年連続)。

国立大学(旧帝国大学)に所属していたため、駅伝での実績はほとんどなかったが、自立心が育まれて、それが後の競技生活に活きているという。


2014年4月、日本郵政女子陸上部に所属(入社は日本郵便。なお、日本郵政の女子陸上部は創設自体が2014年度からであり、鈴木はこの1期生になった)。

2015年1月の全国女子駅伝では、自身初めての9区(アンカー)で出場。1分以上の差を3秒まで縮めたが、優勝に結局届かずに4位に終わった。


2015年8月、自身初めての世界選手権(北京大会)に、5000mで出場。結果は8位入賞まであと一歩の9位だった(日本人では最高の成績であった)。


2016年1月の全国女子駅伝。2年連続で9区(10km)で出場。他チームが「愛知とのタイム差」を重要視するなかで(前評判では、1分程度の差ならば逆転可能といわれていた)、「1分37秒差」の4位で襷を受けたが、中間点で53秒差と詰めると、その後の長い直線を活かして、ぐんぐん前の走者との差を詰めて、8.3km付近でついに先頭の京都を抜き、愛知として悲願の初優勝の原動力になった。この優勝は、「奇跡の大逆転劇」として語り継がれている。

同年6月の日本選手権は、自身初めての地元(愛知県)開催となった。10000mでは、終始レースの主導権を握り、自身初めての優勝。5000mでも2位になり、リオデジャネイロ五輪の出場を叶えた。


自身初めての五輪出場になった、リオデジャネイロ五輪(2016年8月)。直前に故障してしまい、5000mのみでの出場になったが、予選敗退に終わり、不本意な結果になってしまった。


その後は度重なる故障に悩まされたりしたが、2018年8月、自身初めてのマラソン挑戦となる北海道マラソンに出場。最初は先行を許すも、32km付近で先頭に立つと、あとは独走になり、2時間28分32秒で優勝、マラソングランドチャンピオンシップの出場権を獲得した。


2019年1月、3年ぶりに全国女子駅伝に出場。9区で出場したが(前評判では、2016年と同様に、1分程度が逆転優勝の目安といわれていた)、「2秒差」の2位で襷を受ける。しばらく併走状態が続いたが、6km過ぎで京都を突き離してスパート。あとは独走状態になり、競技場直前からは笑顔で走ってのゴール。愛知を3年ぶり2回目の優勝に導く原動力になった。


エピソード

  • 時習館高校(愛知県東三河地区の「公立no.1学校」)、名古屋大学(国立大学の中でも超難関といわれる「旧帝国大学」)を卒業した才媛であることから、「文武両道」「才色兼備」の女子陸上選手として取り上げられることが多い。
  • 中学校時代から、(2回の疲労骨折という大怪我でほぼ棒に振った高校時代を除いて)ほぼ一貫して世代のトップ選手に君臨し続けていること、及び、度重なる故障を克服して復活したという意味で、稀有な選手である。
  • 大学時代の一時期を除いて、ほぼ一貫してゆるふわボブカットである(なお大学時代の一時期にて髪を伸ばしていたのは成人式に備えるためであったという)。また、童顔であり、この容姿は中学時代からほぼ変化していない。
  • 高校時代に右足の甲の2回の疲労骨折に苦しんだが、そのときのリハビリのメニューを粘り強く組んでくれた当時の恩師を「人生の恩師」と慕っている。なおこの恩師は、2016年の日本選手権(愛知県開催)の10000mで優勝した際に審判長を務めていたが、鈴木が1位でゴールした際に思わずガッツポーズをしていたとのことである。
  • 全国女子駅伝(開催地は京都)に10回出場している(2019年大会終了時点)が、全て自身の出身地である愛知からの出場である(なお、所属する日本郵政の拠点は東京である)。中学2年生のときから出場を続けており、前述のようにほぼ一貫して世代トップ選手に君臨していることから、特にアンカー(9区)で出場するようになった2015年大会以後は、出場のたびに「大会の『顔』」として、レース展開予想の中心に挙げられるほどになっている。
  • 前述のように、「才色兼備」の持ち主であること、感謝の気持ちを絶やさない人柄、度重なる故障や学業との両立を経てトップ選手に君臨し続けていること、「ばね」を活かした独特のピッチ走法などから、愛知の少年少女は「亜由子さんのようになりたい」と憧れて陸上を始める子どもが多いという。この、鈴木に憧れて陸上を志した高校生世代の活躍が、2019年大会の全国女子駅伝の優勝の大きな一助になったとのことだが、その一人(この大会の2区で区間賞を獲得した)は「憧れの選手と一緒に走りたいという夢がかなった」と嬉し涙を流すほどであった。
  • 増田明美曰く、豊橋の人々の多くは鈴木のことを「娘」「妹」のように温かく応援しているという。なお、増田との初対面は中学3年生のときであったが、このときの全日中の800mではゴール直前に転倒して優勝を逃してしまったという。また、鈴木を取材した朝日新聞の記者曰く「凛とした走りからは想像できない柔らかい雰囲気が素敵な大好きな選手」と述べている。
  • 実家は米屋である。

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