※この記事はONEPIECE FILM REDのネタバレ情報を含みます。 |
---|
概要
映画『ONE PIECE FILM RED』の楽曲🎶風のゆくえ🎵に在る一節。
荘厳な背景音楽に織り込まれる歌詞と、歌曲映像(ミュージックビデオ)や劇中の描写も併せると、どこか栄誉・叙情を喚起させる趣向が紡がれている。
公式MVでは
歌曲映像(ミュージックビデオ)では、赤髪の大人びた少女と白髪のいたいけな幼女がメインに登場し、まるで姉妹のようだが孤児院と思われる家で仲睦まじく暮らしている日常が描写されている。
2人一緒に遊ぶだけでなく、音楽を通して語らう場面から、彼女たちは音を紡ぎ歌う事が心から大好きであると窺える。
しかし途中から、赤髪の少女が別れる不穏な一幕…。
独りぼっちになちゃった白髪の幼女。始めは空虚な様子だったが、赤髪の少女と共有した「思い出」から活力を取り戻すと共に精悍な少女へ成長していく。
独りだけど一人じゃない。
歌と音楽を通じて進み続けられる強かさや、見えない絆が在るといった物語性(メッセージ)を感じれる。
そして、早熟で気さくな赤髪の少女と年相応に快活な白髪の幼女は、二人で一人の彼女たちは、歌姫・ウタに在る二面性を表してるような、どこか既視感のある姉妹である。
映画本編では
本作『ONE PIECE FILM RED』の終幕(ストーリーエンド)。
ウタの歌🎶風のゆくえ🎵が世界へ響き続ける新時代-エンドロール-で、歌姫・ウタがいなくても、人々は彼女が残した歌曲から、彼女を愛する者は元気をもらい、彼女を知った者は日常を彩る音楽へ浸る様子が描かれる。
彼女が紡いだ歌から、貴方の素晴らしさ、音楽の魅力を届けたい意思、それらから活力や安楽を受け取っている聴者たち。特に歌姫の愛好者たちは、夢をみさせてくれる魔法のように、世代、種族、国境、場所、時間、肩書を越えて世界の果てまで、歌を聴く者たちへ豊かさや暖かさといった心地よさが響き渡っている様相が感じ取れる。
それは音貝(トーンダイアル:音を取り込む性質がある特殊な架空の貝殻)からも、蓄音機からも、拡声器からも、歌曲を口ずさんでも、歌唱に勉めているときも、ふと心に浮かぶ歌謡でも変わらない情景。
赤髪のシャンクスが言っていた「人間はそんなにヤワじゃない」を感じさせる光景。たとえウタが去った世界でも、彼女の歌を忘れず受け継がれていけば、そこに〝私は 歌(ここ)にいる〟と誉れ在る真実がちらっと聴こえるようだ。
ウタの生死は不明瞭な物語構成になっており、まるで視聴者へ彼女の行方を委ねるような結末となっている。だが22年10月の公式情報「脚本家の黒岩勉氏のインタビュー」にて、制作上は「そういう事」である事実が濃厚と示唆されている(その後、映画の副音声では原作者・尾田栄一郎氏によって生死不明と改められた)。
因みに劇中だけを辿ると、でも変わらない。
ウタという歌姫であり少女の物語を、どう感じ、思いを馳せるかは視聴者(あなた)の自由であるし、何の縛りもない。
そして原作『ONEPIECE』の意志を継ぐ本作『ONE PIECE FILM RED』で、特に本稿で採り上げる「私が消え去っても歌は響き続ける」から、誰かが受け継げば、あの人が去ってしまっても時代を生きる者へ〝意志が届く〟という夢幻語(ロマン)があるのだと〝ウタっている〟ようじゃなかろうか。
備考
ウタの歌🎶風のゆくえ🎵を楽曲提供された秦基博氏は、歌い手・ウタが抱える大きな重荷や強い信念で前を向く意志を想起して歌曲を書き上げたという。また基博氏は原作漫画を全巻読まれている愛好家(ワンピファン)でもある。
本稿「私が消え去っても歌は響き続ける」にある語意『生きていた証』といった見えるんだけど見えない存在感は、原作の章節・空島編で鍵となった代物〝黄金の大鐘楼〟を連想させる。
時代を越え、土地を巡り、人々を繋ぐ荘厳な音色を轟かせると共に、偉大な言葉〝「おれ達は」「ここいる」〟が託されている。遠い海まで届ける鐘の音に、幾つもの意志が受け継がれている一幕に、自然と本曲の歌詞へ尊重(リスペクト)されても自然であろうと感じれる程に、原作「ONEPIECE」の系統が表された歌詞・一節であろう。
これは出典
- 2022年8月3日 楽曲提供・秦基博のインタビュー - 公式Ⅹ(Twitter)
- 映画「ONE PIECE FILM RED」提供楽曲、『風のゆくえ』配信開始! - 秦 基博 Official Web Site
関連イラスト
関連タグ
ONEPIECE RED(ONEPIECEの映画) 劇場版ONEPIECE