概要
1896年に農工業への融資を目的として政府系金融機関「日本勧業銀行」及びその子会社「農工銀行」が発足した。特に農工銀行は北海道を除くすべての都道府県に支店が設けられた。(北海道は北海道拓殖銀行が代わりに存在)しかし経営は安定せず、融資範囲の拡大や台湾での支店開設、日本勧業銀行と農工銀行の合併などの経営安定化策が取られた。また戦時中、戦費調達のため1900年に禁止されていた富くじが政府によって「勝札」として復活した際、その受託先となった。これは戦後宝くじと名を変えたのちも、現在まで続いている。戦後、台湾の支店は中華民国に接収され台湾土地銀行となり、1950年には長期信用部門を日本長期信用銀行(現在の新生銀行)に分離したうえで民営化された。
その後バラをイメージとして採用し「ばらの勧銀」として親しまれた。
1971年、日本最古の銀行として有名だった「第一銀行」と合併、「第一勧業銀行」として再出発した。しかし社内対立は深刻で後に不祥事を多発させる遠因となってしまう。最終的に2002年に富士銀行、日本興業銀行と合併し、みずほ銀行となり現在に至る。
ちなみに「みずほ銀行への合併時の打ち合わせ・会議には第一勧業銀行からは旧・第一銀行系の幹部と旧・日本勧業銀系の幹部が同数やって来た」(要は出席者の比率が、第一勧銀:富士銀行:日本興業銀行で1:1:1になっていたのではなく、旧・第一銀行:旧・勧業銀系:富士銀行:日本興業銀行で1:1:1:1になっていた)などという都市伝説が有り「これでは、三行合併じゃなくて四行合併だ」などとも揶揄されていた。
マスコットキャラ
この銀行のマスコットはハローキティが使われていており、現在のみずほ銀行でも引き続き使われている。それ以前は貯金箱は主にかわいらしい動物などが使われていた。前身の銀行では、日本勧業銀行でのばらちゃんというキャラが採用されていた。