概要
一般的には大戦時に起こった事象の負の面について、責任の全てが自国にあるとして過剰に強調する、または正の部分を過剰に貶める・無視し過ぎている、という主張を総合して呼称したもの。日本悪玉史観とも呼ばれる。
主にこういった自虐的な歴史観や教育を行う人間を非難する意味で利用される。攻撃的な意味合いを持って使用されることもある。
例示(日本における自虐史観として挙げられる代表的な物)
- 戦争中、真偽において諸説ある事象に対して、日本側に責任があるという側面の主張だけを採用・強調し、事件の存在や規模、細部を疑問視する意見を意図的に除外・遮断する(東京裁判、南京大虐殺、従軍慰安婦など)。
- 当時置かれていた日本の状況を度外視し、当時の国際情勢や倫理観を考慮していない見解で非難する(自国を自衛するための開戦という観点の欠如)。
- 過去の日本人が行ったことに対する責任を後世の人間にまで求め、発言や主張を畏縮させようとする。被害国とされる国の人間に対し、謝罪などを強制する。
- 東京大空襲、原爆投下など、日本が戦時中に多大な被害を被った事象を安易に「自業自得」「因果応報」と片付ける。
など…。
影響
勿論、こうした自虐的な歴史観は万人に受け入れられると言い切れるものではない。
しかし教科書等、教育機関の中において「戦争を繰り返さない」という方針から、こういった傾向の内容が存在することも事実である。
この歴史観に対し、問題提起を行う書籍がいくらか刊行されており、インターネットでもこれについてはよく議論の対象になる。
こういった歴史観に反発する人間と、見方を支持する人間の間で対立や激論…とは名ばかりの罵倒合戦が行われることが多くなっている。
元々、この自虐史観とは、一言で言えば「戦時中は必ずしも全てが悪ではなかった」という主張であった。しかしいつしか解釈は拡大していくようになり、現在に至る。
また「自虐史観」を飛躍させ、「歴史認識の問題は捏造で戦後教育によって洗脳された」「かつての軍国主義に戻すべき」「日本の戦争は侵略ではなく問題はなかった」という、現代の観点で見れば極端で過激と見られても仕方ない主張が存在すること、本来の意味での「自虐史観を考え直す」人に対してのレッテル貼りとしても使われるケースがある事も付け加えておく。
最後に
なお、これらのどちらかに偏った主張を両者ともにぶった斬ったような一言が実際に存在するので、最後に紹介しておく。
「ソ連崩壊を惜しまない者には心がなく、ソ連復活を望む者には頭がない」