皇国史観
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こうこくしかん
我が国の歴史が皇室を中心に形成されてきたことに着目し、その統合の中心を「万世一系の皇統」に求める思想。
近代化まで
北畠親房による神皇正統記(南朝の正統性を主張した)が皇国史観の先駆けとされる。神皇正統記には唐土(中国)を始めとした異国の王朝は短命だが、日本の皇室が長命なのを誇る記述があることなど、幕末の尊皇攘夷思想など後世に与えた影響は大きい。
江戸時代に成立した水戸学や国学によって神皇正統記など皇室を中心とした歴史観を訴えた著作や思想は多く現れ、それが討幕の一因へとつながった。なお、その影響で従来は不当とされた南朝は正統、楠木正成は忠臣とされ、対立した北朝とその英雄であった足利尊氏は国賊の汚名を着ることとなった。
思想と信教の自由が認められた現在は明治初期と同じように多様な価値観が復活しており、逆賊や悪人とされた人物も名誉回復がなされている。反対に戦前は称賛されたが戦後は一転して評価を落とした人物もいる。しかし、影響力の強い思想であったため戦前の皇国史観による評価の影響を未だに受けている人物は多い。
- 賞賛された人物
天照大神・日本武尊・聖徳太子・中臣鎌足・和気清麻呂・藤原秀郷・平重盛・源義経・源実朝・菊池武時・楠木正成・後醍醐天皇・北畠顕家・足利義輝・山中鹿之介・豊臣秀吉・真田幸村・水戸光圀・大石良雄・高山彦九郎・徳川斉昭・吉田松陰など
- 風評被害を受けた人物
須佐之男・大国主命・蘇我馬子・蘇我入鹿・道鏡・平将門・平清盛・源頼朝・北条義時・足利尊氏・高師直・楠木正儀・松永久秀・明智光秀・徳川家康・徳川家光・徳川綱吉・吉良義央・徳川慶喜・井伊直弼・松平容保・近藤勇・土方歳三など
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