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菊池武時

きくちたけとき

菊池武時は、鎌倉末期、肥後国の武士。後醍醐天皇の倒幕に加わって挙兵し、菊池氏の南朝勢力参加への道を拓いた。(1272?~1333)
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生涯編集

祖父に、肥後の有力豪族であり、蒙古襲来で戦功を上げた菊池武房を持つ。

兄時隆が一族の内紛で殺害された後、菊池家の家督を継ぐ。

1333(元弘3)年、隠岐を脱出した後醍醐天皇は、伯耆船上山に拠り、倒幕の綸旨を各地の武士宛に発布した。武時もこの綸旨を受け、後醍醐方として鎮西探題襲撃を企てる。これに対し、探題北条英時は西国武士を召集するが、武時は遅刻を理由に着到(出席名簿)に付けられなかった。納得の行かない武時は侍所奉行人と口論になるが、結局言い分は認めてもらえなかった。

同年3月、一族を率いて博多に向かい、市中に火を放ち、探題を襲撃した(菊池合戦)。

しかし戦闘中に大友氏・少弐氏の裏切りに逢い、犬射馬場で敗死。享年61歳。

息子武重は追討を逃れて肥後に帰還し、後に足利尊氏が後醍醐天皇と反目すると、新田義貞軍として戦っている。


プロフィール編集

出演作品網野善彦蒙古襲来(小説)
性別男性
命日1333年3月13日
出身地肥後


関連タグ編集

後醍醐天皇 南北朝時代(日本)

菊池武敏 菊池武光−息子たち。九州南朝軍の主力として北朝足利氏と戦った。



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キャラクター・人名 日本史 小説

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