史実の光圀については→徳川光圀を参照
TBSドラマ『水戸黄門』における水戸光圀
「助さん! 格さん! 懲らしめてやりなさい!」
演者
初代:東野英治郎(※メイン画像の人物)…通称「じゃがいも黄門」
二代目:西村晃…通称「シティボーイ黄門」
三代目:佐野浅夫…通称「泣き虫黄門」
四代目:石坂浩二…通称「髭なし黄門」
五代目:里見浩太朗…通称「武闘派黄門」
人物
同作の主人公。通称「御老公」。
時代によってナレーターからの呼称が「光圀」→「水戸老公」→「御老公」→「黄門様」と時代によって変わっていたりする。
主に越後のちりめん問屋の隠居光右衛門と名乗り、家臣の佐々木助三郎、渥美格之進(通称「助格」)を伴い、世直しを目的とした諸国漫遊の旅を行っている。
白い髪とお髭が特徴で、黄色い着物と頭巾、灰色の袴、紫のちゃんちゃんこがお馴染みのスタイル。
隠居して尚も、江戸幕府内において絶大な存在感と発言力を持ち、諸国各藩の藩主達はおろか、時の将軍綱吉公からも「爺」、「御老体」と敬意を示され(ただし、石坂浩二が演じたシリーズやTBS版以外の水戸黄門諸作品では対立関係にある事が多い)、朝廷においても帝、左大臣といった自分の目上の存在にあたる人物からも絶大な信頼を受けるなど、徳川幕府の長老、御意見番的存在となっているが、当人は決して己の立場に胡座をかくことなく、市井の人達は勿論、救いようのない悪人でなければ博徒や乞食などの世捨て人とも対等に話し合おうとする公明正大且つ寛大な心を持ったまさに人の上に立つに相応しい人格者。
だが、それ故に柳沢吉保、堀田備前をはじめ、幕府内部においても御老公の存在を快く思わず、諸藩で勃発した騒動に乗じて、御老公を陥れたり、亡き者にしようと企てる者も少なくない。
身分を隠して諸国漫遊の世直し旅をしている事は、各藩の藩主、役人、果ては市井の人々にもそれなりに知れ渡っており、市井の人々からは「常に弱き者を助けて下さる情け深い御方」として崇められ、藩主や、旗本などのそれなりの身分にある者の中には御老公を真似て、素性を隠して領地を見回ろうとする殊勝な心がけをする者もいるが、そうした者に限って、奸臣達の悪巧みを見落としがちである事が多い。
また、ひょんな事から売れない役者、戯作者や冴えない商人の一行(決まって、主人格の老人と共の若者2人)などが、御老公一行と勘違いされて悪代官や悪徳商人などから盛大な接待(もちろん、これは自分達の悪事を誤魔化す為である)を受ける『偽黄門』騒動が、各シーズンにつきほぼ必ず1度起こっている。
その殆どは周囲の勘違いによって図らずも偽者一行になってしまうパターンであり、当人達も当初は困惑していたが、次第に周囲の厚遇に気を良くして羽目を外して調子に乗った挙げ句、最後は悪者達に偽物である事がバレて危ない目に遭い、正体を明かした本物の御老公を前にして必死に許しを請おうとする三枚目なのが基本であるが、中には本気で世直しをしようという強い信念を抱いて御老公になりすました者もおり、助格が舌を巻く程の人格者っぷりだった(ちなみにこの偽御老公は二代目(西村晃)の時代に登場したが、演じていたのは後に三代目を演じる事となる佐野浅夫である)。
また、御老公の命を狙う悪党の目を逸らす目的…所謂、影武者として偽黄門に扮した者もいる。
性格
前述のとおり、悪人でなければ誰であろうとも公平の目線から接する謙虚な性格に加え、非常にお節介焼き且つ好奇心旺盛で、旅先でひょんな事から出会った人が何か些細を抱えていた場合、積極的にそれに助力していこうとする(毎回、そうした行動から事件に巻き込まれる事となり、助格から度々「遊興or酔狂が過ぎます」と窘められる)。
また、悪者退治の為ならば、時に御一行の面々も含む味方さえも欺く程の秀逸な策を弄する智謀に秀でた一面や、自ら敵の渦中に飛び込んだり、牢に入る事さえも厭わない肝の据わった一面も兼ね揃える。
各地の名産品に対する審美眼や知識に優れたりと新し物好き・学者肌だった性格も織り交ぜられている。
また、正体を明かす前にその素性を知る由もなく馴れ馴れしい態度や、ぞんざいな態度をとられたり、こき使ってきた者(そうした者達は光圀の正体が明かされると必ず「御老公様とは存じませず数々のご無礼…お許し下さい!」と平身低頭になって大謝りするのがお約束である)であっても、後腐れなく無く許してあげるなど非常に寛大で、慈悲深い心の持ち主。
一方で、頑固且つ短気(※)なところが玉に瑕で、年寄り扱いされたり、「ケチ」、「頑固者」と言われる事を非常に嫌っており、一度ヘソを曲げると、憤慨して単独行動に出たり、憮然とした態度で口を閉ざしてしまうなど、色々とめんどくさい一面もある。
その為、御一行の間では、御老公に対して上記の3ワード(「年寄り」「ケチ」「頑固」)は禁句というのが暗黙の了解となっており、実際にそれらに触れられるとすぐにヘソを曲げてしまい、御一行の皆を大いに苦慮させる事となる。
中でも「年寄り」にはかなり敏感で、旅先で出会った人から「クソジジイ」「老いぼれ」等と罵倒されたり、「アンタもそろそろお迎えが近いんじゃないかい?」などと不謹慎な軽口を叩かれて憤慨したり、御一行の皆さん(主に助格)が「ご隠居もお年なのですから無理をなさらないで下さい」等と労りのつもりで言った言葉や八兵衛などが冗談半分に「年寄りの冷や水」等と口を滑らせたりする事に対しても悪い意味で受け取ってしまい、たちまち不機嫌になってしまう。
一方で、女子供などから「おじいちゃん」「じいじ」と呼ばれる事に対しては、全く目くじらを立てる事はない。
「年寄り」程言われる事はないものの、「ケチ」呼ばわりされる事にも不満を覚えやすく(御老公自身は「私はケチではありません! “倹約”です!」と主張している)、ことに旅先で御老公と瓜二つながら、非常に守銭奴な因業商人と出くわし、助格達から「ケチなところも、まるでご隠居そっくりだな…」と冷やかされると、「“ケチ”と“倹約”は全然違います! 」と反論する。
反面、「頑固者」である点は多少なりとも自覚しているようで、時々自嘲する様に自ら「頑固」と称したり、自分と引けを取らぬ程の頑固者が現れると張り合う様に意固地比べに挑んだりする事がある。
また、ゲストが同じく頑固者だった場合、最初は穏便に対話を試みるも、上述の禁句に触れられた結果、御老公も売り言葉に買い言葉となって、最終的に喧嘩に発展してしまうのもお約束となっている。
話の冒頭等で、助格または八兵衛から上述の禁句を言われた事で怒り出したり、ケンカになった末に、ムキになって単独行動に出た結果、その回の悪役の誘惑に乗せられて賭場に行ってカモにされたり、崖や動物用の罠の穴に落ちたり、野盗などの小悪党に拉致されるなど、散々な目に遭い、その話のゲストとなる人物に助けられる事になる展開は定番のあらすじのパターンの1つとなっている。
また、(特に他者を嬉々として虐げるような)悪党に対しては身分・国籍問わず、基本的容赦なく断罪し、時には各藩の藩主、そして将軍・綱吉公に向かっても筋が通っていない事や、間違っている事があれば堂々と異見したり、諫める気概を持った強い正義感の持ち主である事は作品通して共通しているが、東野英治郎が演じた最初期の頃は、断罪した悪党に対して『顔に(罪人の証しである)入れ墨を入れて所払い』『地方の金山に送って、終身刑』に処すように命じるなど後のシリーズに比較しても、徹底して辛辣なスタンスが強調されていた。
※…史実の光圀も若い頃は傾奇者いわゆるグレた不良少年で手を焼く存在だったが、学問に触れ更生した後も晩年までその気性はあったという。
能力
文化人、知識人として多種多彩な人物であった史実に反映してか、劇中では様々な芸術、芸能において、各々その道の達人である職人達からも一目置かれる程に優れた博識や美的センスを披露している。
また、全国各地の名産品(八兵衛と違い、芸工品がメイン)の工房を直に訪ね、その技法を目の当たりにする事も楽しみの一つとしている。
悪人との戦いは基本的には助格や弥七達に任せているが、本人の腕っぷしもなかなかに高く、並大抵の悪漢や雑兵、修羅場慣れしていない黒幕ならば、常備している杖による棒術や扇子を使った鉄扇術、体術で容易に叩きのめしてしまう。他にも弓や火縄銃といった武器を手にとった際には、決して素人ではない腕前を披露している。
クライマックスの大殺陣では主に女性や子供といった非戦闘要員の護衛の傍ら、黒幕達への制裁として一撃加える事もある。
演じる役者次第で殺陣での動きの派手さは変わるが、特に里見浩太朗が演じた五代目御老公は、助格と同等か、明らかに彼ら以上に大殺陣での見せ場が多い(演者の芸歴を考えれば至極当然ではあるが)。
そんな一見すれば完璧超人に見えるが、唯一博才だけは、お世辞にも秀でているとは言い難く、本人は何を根拠にしているかわからないが「博打の名人」と豪語し、格さんや八兵衛、または博打好きのその回のゲストと共に悪役の賭場に乗り込むも、イカサマにかけられ、見事にすってんてんにされるパターンがお約束となっている。
しかし、絶対に負けられない勝負の際や、悪党共を翻弄する為の策略を兼ねた時などには、弥七やお銀(お娟)、飛猿に協力してもらい、逆にイカサマで悪党達を仰天させる程の大勝ちをする事も珍しくない。
笑い声
御老公の代名詞のひとつとして、悪人を懲らしめ、全てが万事解決した時に独特の笑い声を上げるのがお約束となっている。
この笑い方に関して、各黄門様を演じた役者は大変苦労する事になったらしい。
初代の東野英次郎は、放送開始から数シーズンかかって尚も、自分が納得できるような笑い声が確立できず、遂にはそのストレスに耐えきれなくなり、共演者や周囲のスタッフに当たり散らすまでになってしまい、見かねた息子の東野英心が付き人になる事で、笑い声の考案をアシストするようになった。
その結果、3年目にしてようやく納得のいく笑い方を見出す事に成功したという。
二代目御老公を演じた西村晃も初代を務めた東野との差別化の為に試行錯誤に苦心したそうで、最終的には独特の発音を交えた笑い方(ほっほっほ……の「ほ」と「っ」の間に極僅かに「ぁ」を含めるような発声との事)にする事で自分ならではの御老公のキャラクターを確立した。
歴代演者での違い
演じる役者によって性格はバラバラだが、これらは役者が黄門様のイメージを崩さないながらも、各々自分ならではの新たな黄門様として受け入れられるように考えて練ったものであり、どの俳優も四苦八苦したという。意外だが、初代御老公もシリーズ初期は知られている頑固で短気でやや豪快ではなく、割と大人しめで穏やか気味(この人物像はまんが水戸黄門の黄門様に反映された)である。
初代の東野英治郎は第1部時点では62歳だったが、元々老け顔なので老人役がよく似合っており、時として怖そうに見える風貌が印象的。各話の締めの呵々大笑は光圀の決めポーズとなり、長く愛される一因となった(通称「ジャガイモ黄門様」)。意外だが東野の初期は頑固で短気な黄門様のイメージよりもやや大人しい雰囲気だった。
2代目の西村晃は初代よりも若々しく、穏やかでどこか上品な振る舞いが特徴的。そのため「シティボーイ黄門様」と呼ばれた。また茶目っ気もあり、悪党と相対した時には歴代光圀の中でも特に飄々とした演技であしらう。なお後のレギュラー陣の多くが彼の時に集まっており、「水戸黄門の代名詞」と親しまれた。
3代目の佐野浅夫は、歴代光圀の中で最も「好々爺」の雰囲気が出ている。またやや高圧的な初代、高貴な感じのする2代目に対して庶民的で慈悲深い。よく感激して涙する事が多く、「泣き虫黄門様(当然悪い意味ではない)」と呼ばれ親しまれた(下記も参照)。
4代目の石坂浩二は当初、トレードマークである髭を無くして、史実に忠実した(水戸黄門の生きた5代将軍綱吉の時代は、武士は髭を生やす事を禁じられていた)「髭なし黄門様」を試みたが、これは視聴者から不満の声が殺到した事で結局1クール分だけで終わり、第29部の最後に、ある事件を機に髭を伸ばし、元の髭ありのキャラクターに戻された。また、これまでの庶民的な面を持つ親しみやすい光圀像とは一線を画した、インテリっぽく普段から浮世離れした(というか、庶民に見えない)風格を持つ光圀像を打ち出している。
5代目の里見浩太朗は2代目助三郎役でもある。歴代光圀の中で最も男前で体格がよく、時代劇のベテランである上に、過去の助三郎役で培った経験から各話のクライマックスの殺陣でも助&格に引けを取らないほど見せ場が多かった為、一部の視聴者から「武闘派黄門様」と呼ばれた。あと元が助三郎役なせいか、遊郭や京遊びに行きたがるなど何かと羽目を外す事も多い。
6代目の武田鉄矢はやはり『金八先生』の熱血漢のイメージが見え隠れする(その為か、視聴者からはそのまんま「黄門先生」と呼ばれる事も少なくない)他、主張や決意には一本筋が通ってはいるが完璧ではなく、ずるさや甘えといった「老いの欠点」を持つ泥臭い・人間臭い一面も見られる。
光圀を演じた俳優が過去のシリーズに別人役で出ていることがあるが、これは後任を選ぶテスト撮影も兼ねていたという。
多くの歌舞伎役者やスター俳優が演じてきた映画時代の『漫遊記』からは一転、TBS版では初代二代目と悪役が専門だった俳優が光圀を演じているが、三代目の佐野浅夫から善人役を多く演じてきた俳優が演じるようになった。
ちなみに三代目の佐野は光圀役を引退後、里見浩太朗が演じる五代目の時代に別役(服部半蔵役)として出演しており、光圀の演者の中では唯一の事例である。
また、五代目の里見は光圀役を引退後、武田鉄矢演じる六代目が登場したBS版が放送された後に上演された舞台版水戸黄門において再び光圀を演じている。
余談
史実・ドラマ共に徳川幕府において『副将軍』という地位があるわけではなく、「前さきの副将軍」とは徳川御三家である水戸家が『天下の副将軍』と呼ばれていたことに由来する(当主の地位を降りたから「前水戸家当主」=「前副将軍」) 。
尤も、『天下の副将軍』という呼称は、同じ徳川御三家の尾張徳川家と紀州徳川家が朝廷において大納言の官位を得ていたのに対し、水戸徳川家だけは中納言であった事から、「(地理的に)江戸に最も近い御三家でありながらも唯一の中納言である水戸徳川家」に対する揶揄であったと言われている。
なお、官位は慣例的に「の」を省略表記できるため、「前副将軍」でも「さきのふくしょうぐん」と読める。
旅先で光圀と同じかそれ以上の頑固で気性が荒くさらに光圀には無い因業者の瓜二つな人物と遭遇する事も度々あった。しかもよりにもよってその人物は光右衛門という名前であって、その「光右衛門」に散々酷い扱いされた人から人違いで酷い目に遭わされるとんでもないとばっちりを受けるパターンも。そこはお節介焼きの光圀らしく、逆にその人物に成り代わって世直しの手段に使う事もあり、そして最終的に「光右衛門」は光圀との会遇を経て、心を入れ替えるのがお約束である。
また、街道筋の大泥棒の親分・光右衛門と名乗って、一芝居打ってマヌケな泥棒と共に悪者の屋敷に潜入したり、何でも当てる占い師・光右衛門と名乗って、盗賊崩れのインチキ占い師と祈祷対決を繰り広げたり、戯作者・光右衛門と名乗ってゲストの旅役者一座に加わり、悪者達の悪事を告発する劇を書き上げるだけでなく、自らも役者として芝居に参加する事ある。何れの扮装時も光圀は物凄く楽しそうに演じている上、それぞれ様になった立ち振る舞いをみせている。
八兵衛も「また御隠居の物好きが始まった…」と時に呆れる程。