野村秋介
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のむらしゅうすけ
横浜市出身の民族主義活動家。日米安保条約破棄、マスコミ批判など独自の活動を展開した。
横浜市出身の右翼活動家。晩年には新浪漫派を自称した。
愚連隊出身で、度々暴力・テロ事件を起こし服役を繰り返していたが、石原慎太郎の新井将敬氏に対する選挙妨害に激しく抗議し石原を平伏させたり、フィリピンで拉致されたカメラマンを救出したり、泡沫候補を無視するマスコミを告訴したりと独自の反権力的姿勢には、立場を超えて多くの共感が寄せられた。対極の思想である筑紫哲也と生前交流がありお互い尊敬しあっていた。
1993年10月20日、東京・築地の朝日新聞東京本社に中江利忠社長(当時)の謝罪を受けるために訪れ社長ら首脳と話し合いの後「天皇弥栄(すめらみこと いやさか)」と三度言い残し拳銃で自決した。58歳没。
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