概要
1924年5月22日-2023年6月10日
FBIからのコードネームは「ユナボマー」
1962年にミシガン大学の大学院に入学し、修士号と博士号を取得。複素解析(特に幾何学的
巻数論)を専攻。
1967年後半にカリフォルニア大学バークレー校で最年少である数学の助教授になる。
バークレー校を辞めて以降はイリノイ州ロンバードの両親のもとで暮らしたが、2年後の1971年には人を避けてモンタナ州リンカーン群の郊外で小屋を建てて、電気も水道もない質素な暮らしを始めるようにんなる。他者から独立して生きていける自給自足の生活を行うことが目的だった。
原始的な技術を自ら鍛え、よく古典作品の原書を読んでいたという。
だが小屋の周囲の原野は不動産開発と工業化によって破壊され、自然に囲まれた平和な暮らしはもはや不可能だと彼は考えた。
それに対抗するため、1975年から周辺の工場現場で破壊工作を始めるとともに、ジャーク・エリュールなどの本を読んで社会学や政治哲学を独学で学び始める。
犯行
彼の最初の郵便爆弾はノースウェスタン大学で材料工学を研究する教授のバックリー・クリストを狙ったものだった。
差出人住所が自分になっている郵便物が返却されたことを不審に思ったクリストは警察を呼んだ。警察官テリー・マーカーが開封すると爆発し、左手を負傷した、
航空会社の役員たちにも爆弾を送り付けた。
1979年にはアメリカン航空444便の貸物倉に爆弾を仕掛けた。ただし、時限装置の不具合によって失敗。連邦犯罪としてFBIが捜査に乗り出し、University and Airline Bomber(大学・航空機爆弾犯)の頭文字から容疑者をUNABOMと名付けた。
爆弾には木の枝や樹皮の一部が含まれていたことで、FBIは容疑者が自然や樹木をテーマに盛り込んでいると絞り込むことになる。
1985年にアメリカ空軍の大尉だったジョン・ハウザーは4本の指と片方の目の失明を被るなど、最初に重傷に負うことになった。
PCショップを経営するヒュー・スクラットンは自分の店の駐車場に置かれた、釘と金属片の詰まった爆弾で命を落とした。
1987年2月20日に再びPCショップの駐車場にて、木材に偽装させた爆弾をどけようとしたゲイリー・ライトは身体に200個以上の金属片を浴びる怪我を負った。
6年後の1993年にイエール大学の計算機科学を教えるディヴィッド・ゲランター教授の自宅に爆弾を送り、重傷を負わせた。
同じ週に、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のチャールズ・エプスタインの自宅にも爆弾を送って指を吹き飛ばした。
1994年、広告代理店バーソン・マーステラの役員であるトーマス・モーザーの自宅に送られた郵便爆弾を爆発させて死亡した。
1995年にカリフォルニア森林組合の理事長だったバート・ブレント・マレーが郵便爆弾により死亡。この郵便爆弾は、既に辞任していた元理事長ウィリアム・デニスンに宛てたものだった。
彼は同年にマスコミ各社へ繰り返し手紙を送って、自らの目的のあらましを伝えると同時に、35000語の論文『産業社会とその未来』を大手新聞に対して一言一句たがわずに掲載するよう求め、要求を呑めば「テロ行為をやめる」とも語った。
論文は1995年9月19日にニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに掲載された。
逮捕
1996年4月3日に彼は逮捕された。
ユナボマーはFBI史において最も捜査に予算がかかった容疑者だった。
逮捕のきっかけとなったのは弟・ディヴィッドが、匿名を条件にFBIに情報提供したためだった。
FBIが兄と接触しようとすればそこに暴力が伴いかねないと判断して、兄を守ろうとしたのである。
だが情報提供者がディヴィッドであることは1996年4月初頭にCBSニュースによってリークされてしまった。
仮釈放なしの8回分の終身刑とする司法取引に同意したため、公判は開かれなかった。
コロラド州にあるADXフローレンス刑務所に服役していたが、2021年12月下旬にノースカロライナ州のバットナー連邦医療刑務所に移送された。
2023年6月10日早朝に刑務所内で死亡。自殺とみられる。