時は1980年代のオートバイブーム全盛期、日本のオートバイメーカーのホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4社は、生き馬の目を抜くが如き技術競争の真っ只中であった。
特に、重量および排気量に対して出力が大きく、当時のロードレース世界選手権で主流を占めていた2サイクルエンジンを使用した、250ccの『レーサーレプリカ』と呼ばれるジャンルは最も競争の激しい分野で毎年のようにマイナーチェンジ、3~5年でフルモデルチェンジが行われるほどであった。
TZR250
ヤマハの2サイクル250ccのレーサーレプリカは、レーシングバイクの名馬TZをイメージしたTZR250であった。
1985年にデビューした初代TZR250(1KT)には、パワフルな走りに定評があったRZシリーズの流れを汲んだ2サイクル並列2気筒エンジンが載せられており、ヤマハの得意とする優秀なハンドリングと全域で扱いやすく実績があるエンジンが相俟って優秀なバイクであった。
…が、ライバルのホンダがNS250Rの製造を辞めて、1986年にあのNSR250Rをデビューさせてしまう。やや遅れてスズキからもRGV250Γがデビュー。
ヤマハもこれに対抗するために、マイナーチェンジを行い、1988年に型式名を2XTとした後期型を発表するが販売競争で苦戦を強いられた。
サンマと呼ばれたバイク
1989年、2代目TZR250(3MA)が発売された。
このバイクはエンジンを刷新し、先代と同じ並列2気筒ながら、これまでシリンダーの後ろからクランクケースに固定されていたキャブレターをシリンダーの前側に設けて、代わりに排気チャンバーをエンジンからテールカウルに向けてまっすぐ伸ばし、シートの下にマフラー(サイレンサー)、ナンバープレートの上に2本の排気口が並ぶという、通常のバイクとは給排気系が真逆のレイアウトの異様なバイクであった。
所謂「後方排気」と呼ばれたこのレイアウトは、ヤマハのロードレーサーTZ250(1988年型)に採用されていたもので、エンジン前側にキャブレターがあるため、エンジンからの排熱の影響を受けにくくエンジンの効率が良くなる。
特に、クランクシャフトの回転方向に対して最適な位置にキャブレターを設置できるため吸入効率が上がり、更には最高速度付近では吸気マニホールドに僅かながら圧力が掛かるので出力が向上、排気管もほぼ一直線に配置できるのでチャンバーの設計の自由度が高く、通常のバイクと比べるとより有利であると考えられた。
更には、エンジンの下にチャンバーを通す必要がないので、エンジンの搭載位置を最適な位置まで下げることが出来る。(下げ過ぎると車体をコーナーで倒せなくなるのでほどほどに…)
実際にこのモデルはサーキットで猛威を振るっていたため、公道向けモデルでも採用が望まれていたのだ。
先代の登場から僅か4年で、エンジンを含めた完全なフルモデルチェンジが行われた上に実際にレーサー以外に使いようが無さそうなエンジンを250ccのバイクに載せてしまった事からも、当時のオートバイブームの過熱ぶりが窺える。
…ところが、このレイアウトのエンジン。公道ではあまりメリットが無かった。
まず、前方から直接吸気するレイアウトであるため気温の変化などに影響されやすいという問題があった。
レーサーであるTZは走行前に必ずキャブレターをセッティングしてから走るので問題が表面化しなかったが、市販車であるTZRの場合は、セッティングせず走ることが多かったため気温の変化などに対して神経質で調子が崩れやすかった。
その上、チャンバーがフレームとシートカウルの中を通っていたため、チャンバー容量が確保出来ず、ピーキーな特性となったこともいっそう操縦を難しくした。
これを解決するため、チャンバーを前後に伸ばしたものの、今度はその辻褄を合わせるためにフレームが、つまりホイールベースが長くなった。チャンバーも市販車として耐久性を確保する為に分厚い材料で作られたため結果的に重心が高くなり、ヤマハのこの種のバイクとしてはどっしりとしたハンドリングとなった。
幾らサーキットで速くても、それ以外では必ずしも性能が直結しなかったのだ。
結局、1991年にフルモデルチェンジが行われて、NSR250Rと同様にV型エンジンを載せたTZR250R(3XV)が登場し、生産終了となった。