概要
「急にボールが来たので」の略。
2006年サッカーW杯クロアチア戦において、柳沢敦選手が無人なゴール前でパスを受けたのになぜかゴール外にいた敵ゴールキーパーの股間にめがけて蹴ってしまい、ゴールできなかったという大失態に対して、本人が試合後述べた何とも冴えないコメントである。
結局男子サッカージャパンはこの試合も含め1分2敗で予選敗退したこともあり、文字通り袋叩きにされたのは言うまでもあるまい。
柳沢は本当にストライカー失格だったのか?
今でも柳沢敦選手へ向けてこの言葉を侮辱の意味を込めて発言する人も多いが、少なくとも彼は決して得点能力が欠如しているのでは無い。
事実、2010年には当時時点で史上6人目となるJリーグ通算100ゴールを記録しており、これは2021年現在でも15人の選手しか成し遂げていない偉業である。
最終合計得点は108点であり、これは2021年現在歴代12位の記録である。
しかし彼自身、「点をとる事だけがFWではない」とFWとしては異質とも言えるポリシーを掲げており、これを良しとしないサポーターは当時からそれなりに存在していた。
故に2006年サッカーW杯クロアチア戦での失態はQBKの発言と共に彼への不満を大爆発させる結果となってしまったのである。
ただし本件以降、柳沢本人はそのままCFとして落ちぶれた訳では決してない。
上記の通算100ゴールの達成も2006年サッカーW杯以降である2010年であり、その2年前である2008年には、長年在籍した鹿島を離れ京都サンガに移籍、そこで年間14ゴールを挙げ、日本人トップの得点を記録。その年の年間ベストイレブンにも選出されている。
本件は柳沢本人の評価に大きく汚点を残した事には変わりないが、決してそれだけが柳沢敦という選手の全てではない事をここに補足しておく。