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モナ・リザの編集履歴

2016-08-01 19:24:37 バージョン

モナ・リザ

もなりざ

『モナ・リザ』とは、レオナルド・ダ・ヴィンチによる肖像画の名称。

概要

世界的に著名な美術品にして、「万能の天才」と謳われるレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作品の1つ。


構成

フィレンツェ取扱商人フランチェスコ・デル・ジョコンドのであるリザ・デル・ジョコンド(Lisa del Giocondo)が椅子に腰掛ける姿を題材としたとされる肖像画で、キャンバスではなくポプラ材の板に油彩で描かれた


現時点での研究内容によると、ルネサンス期の美術史研究家を兼務した画家ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)の著書『画家・彫刻家・建築家列伝』の記述、フィレンツェの役人を務めたアゴスティーノ・ヴェスプッチによる覚書の内容を元に科学分析調査を進めた結果、晩年に当たる西暦1503年前後の作品と推測されている。


本来の名称は『La Gioconda』(ラ・ジョコンダ)だが、ヴァザーリの著書の一節に端を発した通称が広く浸透し、現在の一般的名称となっている。随所に見られる特徴や違和感について、長年に渡って多種多様な仮説や研究論文が発表され続けている一方、論説によっては一極型で全く整合性の取れていないものも存在するなど、未だに全容解明の糸口が見つかっていないのが現状である。


フランスにおける国宝の中でも、特に厳選した逸品を収蔵、展示するルーヴル美術館にあって最も集客率の高い美術品であり、過半数に及ぶ観客の来館目的を占めている。しかし、過去には「レオナルドの作品なのだからイタリアで展示されて然るべきである」とする短絡的、あるいは国粋主義的理由から盗難に遭うなど様々な波乱を経験した美術品でもあり、そうした経緯から厳重な管理体制を必要とする最重要収蔵品の1つに位置付けられている。


流転

和平交渉の場で対面を果たしたフランソワ1世の歓待を受けたレオナルドが、愛弟子のフランチェスコ・メルツィと共にフランスに移住した際もこれを携えて加筆を続けたとされるが、イタリアに残ったもう一人の愛弟子であるジャン・ジャコモ・カプロッティの覚書によると「師の死去に際してラ・ジョコンダを遺品として譲り受けた」と記されており、これを含めた数々の遺贈品と共に一度はイタリアへ戻った。


その後、間もなくフランソワ1世が4000エキュ(現代の貨幣価値で約300万円)で買い戻して再びイタリアを離れ、フランスにおけるルネサンス美術の発信基地となったフォンテーヌブロー宮殿に所蔵され、それから約160年後にルイ14世が新たなフランス王宮と定めたヴェルサイユ宮殿へ移された。さらに約100年後、ルイ家率いるブルボン朝を打倒したフランス革命を契機に国有美術館へと役割を変えたルーヴル宮殿に移されるが、ボナパルト朝初代皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトが居城としたテュイルリー宮殿の寝室を飾るために持ち出されたりと、依然として権力者からの完全な離別は難しい状態であった。


ナポレオン3世の代になっても王室と美術館の往き来を続ける最中、スペイン王家の王位継承権問題に介入してヴィルヘルム1世率いるプロイセン王国と対立した普仏戦争が勃発し、戦禍を避けるためとしてフランス最大の軍港を備える軍事拠点ブレストへ移送された。ルーヴル美術館に戻ったのも束の間、第二次世界大戦勃発の折には急速な国力増強で台頭したアドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツによる美術品接収を怖れ、かつての所有者であるフランソワ1世と縁の深いアンボワーズ城やシャンボール城、要塞として機能していたロック・デュー修道院、隣県のモントーバン美術館などを転々としながら執拗な追跡を掻い潜り、イタリアと国境を接する南方のモンタル城で遂に待望の終戦を迎えた。


しかし、その後も災難は続き、1956年に酸性の液体を浴びせた観客によって左腕部に、さらには同年末にを投げ付けた別の観客によって左顔面部に損傷を受ける前代未聞の損壊事件が起こった。修復作業の成功から大事にこそ至らなかったものの、これらの事件を重く見た関係者一同の提案によって「展示中は常に特注品の防弾ガラスケースに収めておく」とする保護対策が施される運びとなり、1974年に東京国立博物館へ貸し出された際に観客が起こした衝動的事件(モナリザ・スプレー事件)から作品を守る結果に繋がった。


後年になって、従来の展示室『Salle des Etas』(サル・デ・ゼタ)そのものが作品の保存性を大きく損ねる可能性を示す事実が発覚したが、これに対してルーヴル美術館と深い関係を築いてきた日本テレビが問題の根本的解決に名乗りを上げ、展示室大改修への全面協力の意を表して約480億円の寄付金を投じた。約4年後、建築家のロレンゾ・ピケラスに依頼した防弾、防振、高気密、無反射、温湿調整ガラスケースと自然光採光の天窓、精密な空調システムを組み込んで生まれ変わった展示室『Salle de la Joconde』(サル・ドゥ・ラ・ジョコンダ)に安置され、500年の時を経てようやく永世安堵の地に落ち着いた。

関連作品

ダ・ヴィンチちゃん

fate/GrandOrder(ダ・ヴィンチちゃんの見た目がモナ・リザ)


オマエモナー

トラウマイスタ(同名キャラが居る)


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