「飛ばねぇ豚はただの豚だ」
概説
本作の主人公。
鮮やかな赤色の戦闘飛行艇「サボイアS.21」に乗って空中海賊(空賊)を相手にする賞金稼ぎ。
普段はアドリア海の島々の一角に秘密のアジトを持ち、そこを拠点に活動している。
豚、どう見ても豚。ただし世界で一番かっこいい豚。
トレンチコートに丸レンズのサングラスを掛け、手には革手袋、ソフト帽を被った出で立ちをしている。ちょび髭と咥え煙草がトレードマークで、帽子の下には赤毛の髪が生えている。ちなみに尻尾はズボンを破いて出しているらしい。
アドリア海のマドンナであるマダム・ジーナとは幼馴染で、彼女の経営するホテル・アドリアーナの常連でもある。今でも彼女とは個人的な付き合いがあり、ジーナから身を案じられている。
口を開けば辛辣な言葉が飛び出す皮肉屋で、群れることを嫌う一匹おおk……もとい一匹豚。ダンディズムとハードボイルドが生き方そのものに表れており、それが丸々とした豚がやってのけているのだから、見る人間にとっては大変癪に障る。
ニヒリストのようにも見えるが、根っこでは人情と血気が抜けきらないところがある。また「戦争じゃないから殺しはしない」という信念を持ち、たとえ相手が殺しにかかってこようと、相手が弱ってきてから生還できる程度に機体を痛めつけて終わらせてしまう。
元はちゃんとした人間だったが、ある時から人間であることに嫌気がさし、魔法を使って豚となったらしい。
経歴
本名「マルコ・パゴット」、元イタリア軍のエースパイロットである。
最終階級は大尉。幼馴染のジーナだけが「マルコ」と呼ぶ。
第一次世界大戦の末期、空挺部隊に参加し、そこで死線を彷徨った末に飛行艇の河を目撃し、生還を果たす。このとき親友でありジーナの夫となったベルリーニを喪い、ただ一人生還した。
豚となった決定的な動機については語られていないが、ジーナは「戦争で自分だけ生き残ったことへの罪悪感」という見解を見出している。
「ポルコ・ロッソ」という名も、本来イタリア語でこの言葉が相手への強い侮蔑を意味するらしく、戦争と殺戮を繰り返す人間への嫌気と共に、そんな人間の一員であった自分への“仕置き”とみるのが妥当なのかもしれない。
またこうした経験から戦争や人殺しを嫌い、空軍からの協力要請も蹴り続けている。
政府(ファシスト党)からは当てつけのような罪状で狙われている。
ジーナには昔から惚れていたらしいが、ポルコが身を引いたため、お互い憎からず思いながらも罪悪感から踏み込めず、両者による我慢比べが延々と続いている。
小ネタ
- 劇中でのポルコの愛機は「サボイアS.21」だが、実機モデルは「マッキM.33」である。これは宮崎駿監督が記憶を頼りにがむしゃらにモデル機を描いた結果、マッキM.33と混濁してしまったせい。判明したのはのちの対談でのことだったとか。
- 豚人間キャラになったのは、原作である『飛行艇時代』からの名残で、あくまで記号としての役割が出発点。その後映画の構想を練る段階で豚のままで通すことが決まり、さらに一番こじつけに便利だとして「魔法で自分に呪いをかけた」としたらしい。
- ちなみに宮崎氏は自分を動物化すると“豚”にする。豚という動物に愛着があるとのこと。
- 記事冒頭に一番有名なポルコのセリフだが、これはカーチスに撃墜された後にジーナと連絡を取った時のもの。心の底から心配したジーナに「このぐらいでやられはしない」とカッコつけて言い放ったものだが、ジーナからは「バカっ!!」と一蹴されて電話を切られてしまった。
- 実際ポルコ自身が意図してカッコつけようとすると大体は失敗する。劇中見回してみると、そういうシーンは結構多い。
- ジーナの賭けの結果については、終盤にホテルアドリアーノの全景が映されるカットに目を凝らしてみよう。