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吹雪型駆逐艦の編集履歴

2017-05-04 15:40:26 バージョン

吹雪型駆逐艦

ふぶきがたくちくかん

大日本帝国海軍が建造した艦隊型駆逐艦。pixivでは、通称である「特型駆逐艦」の呼称の方が多く用いられている。

概要

吹雪型駆逐艦は、ワシントン海軍軍縮条約の締結により、八八艦隊の建造を中止した旧日本海軍が条約の制限を受けない補助艦艇の整備を強化する方針を打ち出し、建造した駆逐艦。狭義には、これらのうち初期に建造された特Ⅰ型こと一番艦(吹雪)~十番艦(浦波)のみを指す場合もある。


綾波型以降との違いは、この10隻のみA型と呼ばれるタイプの砲塔を採用している。これはB型以降の左右の砲独立稼動するものとは違いが常に連動して稼動する。十番艦の浦波は、後述のII型と同形の船体にA型砲を搭載しており、改Ⅰ型として別タイプに分類する場合もある。


本型は、日本海軍が軽巡洋艦「夕張」で培った技術を駆逐艦に適用し、長距離外洋航海に耐える航続力と従来の駆逐艦と一線を画す打撃力を兼ねそなえた艦隊型駆逐艦として建造された。船体は自動電気溶接の多用等による徹底した重量軽減を行いつつ、前級であるポスト八八艦隊世代の駆逐艦である睦月型よりも一回り大きかった。

余裕を持たせた艦体に前級の睦月型の12cm単装砲から砲力を強化し12.7cm連装砲を3基6門搭載した。砲塔はそれまでの開放型の波除け防盾から全周を覆った密閉型に変更された。これは機銃弾や弾片などからの防御性能は皆無に等しかったが天候や波浪に左右される事無く戦闘することが可能になった。

雷装は61cm3連装魚雷発射管が9射線、艦橋は露天式から密閉式に変更され、公試時の最高速力は38ノットに達した。


基準排水量1700tの船体に、当時としてはかなりの重武装が施され、砲門数・魚雷発射管数はともに従来の睦月型の1.5倍となった。雷撃9射線は後の甲型(8射線)を上回り丙型(15射線)に次ぐ射線数である。


もっとも搭載砲は、従来の対艦砲撃戦では毎分10発のカタログスペックを持ち他国の駆逐艦に対して優位性を持つが、対空戦闘能力は毎分4発で余り現実的とは言えなかった。これは本来この砲が対艦砲撃を意識した平射砲であり装填時に水平まで戻す必要があったためである。

また雷装についても、甲型の場合当時帝国海軍の秘密兵器の一つであった所謂酸素魚雷を搭載しており、単純に射線数だけでは雷撃性能の差を比較することは出来ない。しかしその点を考慮しても特型駆逐艦の登場は当時の世界を震撼させ、その後の駆逐艦という艦種のあり方自体を大きく変えるに足るエポックメーカー的性能を持っていた。その為ワシントン海軍軍縮条約で保有制限された主力艦に変わりうる補助戦力として条約型重巡洋艦と並んで一躍脚光を浴び各国海軍の建艦競争を再燃、ロンドン海軍軍縮条約による補助艦艇の制限につながった。これを戦艦でいえばかの有名なドレッドノートにも相当する画期的な存在なのである。


このように突出した高性能であったが、過度の重武装による復元性不足と、軽量化のための船体強度の余裕の少なさに、当時新技術であった電気溶接の未熟さが重なり艦体の強度面で問題を抱えていた。


その後、友鶴事件で藤本設計艦の復元力不足が露呈し、第四艦隊事件初雪夕霧は艦首部分が切断される大被害が発生した事を契機に、本型についても全面鋲打ちへの変更等の補強工事を含めた大規模な改装が実施されることになった。

これによって排水量は増大し優れていた速力も相応に低下した。更に戦争末期には電探や対空機銃が増設されたため、最終時の「響」は速力34ノットまで低下していた。


戦後海上自衛隊に名前が受け継がれた艦は次の通り。(2016年5月現在)

2016年4月27日、しまゆき型練習艦「しらゆき」が除籍されたため、特Ⅰ型由来の現役海自艦は1隻もない。


史実の吹雪型駆逐艦については特型駆逐艦を、艦隊これくしょん駆逐艦娘としての(狭義の)吹雪型駆逐艦については吹雪型を、それぞれ参照のこと。


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