ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

アタック25の編集履歴

2019-06-09 18:41:25 バージョン

アタック25

あたっくにじゅうご

『パネルクイズ アタック25』。朝日放送テレビ(ABCテレビ)制作のクイズ番組。パネル25枚を取り合う。

パネルクイズ アタック25』は1974年4月6日から朝日放送→朝日放送テレビが制作し、テレビ朝日系列で放送している、日本の視聴者参加型クイズ番組である。

現在はテレ朝系列フルネット24局で毎週日曜日13:25-13:55に放送。

概要

ABCテレビ及びテレビ朝日の長寿番組のひとつである。2018年4月1日付で朝日放送株式会社が認定放送持株会社に移行、同日以降の放送は朝日放送テレビ株式会社の制作となった。

5×5の25個のパネルを4人の解答者がオセロ形式で奪い合うことで優勝者を決定する。

番組内で出題される問題数はあらかじめ決まっており、不正解、スルーが続くと25枚埋まる前に終了ということも時折ある。


通常25枚まで取ったとして、最終的に勝つのに必要な最小限正解問題数は3問である(角を2つとることで、上下左右いずれかの端列を1つ確保したまま、最終問題の時に角が残り、それに答えた場合は13枚確保となり、どんなに多くても他の解答者は12枚しか取れないことになるので勝ち確定)。


初代司会者の児玉清「アタックチャンス」の掛け声が有名になった(アタックチャンスは30分番組となった1975年10月2日放送分で初登場)。


歴史

この番組が始まる1年前の1974年4月7日-1975年3月30日、児玉清が司会を務めた視聴者参加型クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』を、東洋リノリューム(現在の東リ)一社提供の下、毎日放送(MBS)がNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で放送した。しかし視聴率の低迷、1975年3月31日に行われるABCとMBSのネットチェンジのため終了した。東リが児玉司会による一社提供番組をABCでも継続して制作・放送することを希望したため、『アタック25』が登場した。当初児玉は司会続投に難色を示したものの、東リ側の要望もあり了承した。よってNETなど一部の系列局では、制作局が異なるものの東リ提供・児玉司会の番組の放送が継続した。

ネットチェンジで生まれた番組としては、NETテレビの『スーパー戦隊シリーズ』がある(第1作目は『秘密戦隊ゴレンジャー』)。

放送開始にあたり、とあるABCのスタッフが子供にオセロゲームを買ったことからこの企画が生まれた。その後放送時間内にすべての面が埋まり、海外旅行獲得クイズに挑戦できると仮定し、何枚の面で行うのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。その後赤・緑・白・青の色を使うことを決めたが、1975年当時白黒テレビが残っていたためにスタッフやスポンサーから難色を示されたが、初代プロデューサーの三上泰生(当時はABC第二制作部長)が「テレビは将来カラーになる」と説得して回ったため実現した。

1997年4月にMBS『アップダウンクイズ』(1963年10月6日-1985年10月6日)、NHK『連想ゲーム』(1969年4月5日-1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットのクイズ番組で最長寿となり、2012年6月にはこれまでローカルを含むクイズ番組最長寿記録だったCBC『天才クイズ』(1967年7月26日-2004年9月25日)の37年2か月を抜き、日本のクイズ番組最長寿の完全新記録となった。

現在民放の全国ネットレギュラー番組で視聴者参加型クイズ番組は、この番組とフジテレビ『超逆境クイズバトル!!99人の壁』である。

2016年10月22日公開の映画『バースデーカード』で、初めてこの番組が映画に登場した。司会の谷原章介も本人役で登場した。


出演者

司会者

  • 初代:児玉清(1975.4.6-2011.4.10)
  • 2代目:浦川泰幸(2011.5.29-2015.3.29) - ABCアナウンサー
  • 3代目:谷原章介(2015.4.5-現在)

初代司会者の児玉は、番組開始から36年間、1793回にわたって司会を務めた。これは日本のテレビにおけるクイズ番組で史上最長である。

児玉は1984年10月14日・10月28日放送分は、腹膜炎による入院で欠席、その回は板東英二が代役を務めた。

2011年4月7日以降、児玉が肝機能障害で入院・治療に専念することを表明し、ABCアナウンサーの浦川が代役を務めた。同年5月16日に児玉が胃がんのため逝去、これにより同年5月29日放送分より浦川アナが正式に2代目司会者となった。

2015年3月29日放送分をもって浦川アナが卒業、同年4月5日放送分から放送40周年のリニューアルに伴い、児玉と親交が深かった俳優の谷原章介が3代目司会者に就任した。これに合わせ、番組ロゴ・セットをリニューアル、BGMのアレンジも新しくなったほか、早押し・パネル獲得時のSEの余韻が短くなった。

出題者

女性のフリーアナウンサーが務めていた時期があったが、2009年4月5日放送分からABCアナウンサーの加藤明子が読み上げを担当して以降、ABC→ABCテレビの女性アナウンサーが務める。また1976年4月4日放送分から1980年3月30日放送分までは当時ABCアナウンサーの中村京子が務めた。


番組の流れ

谷原章介が司会を務める2019年度のもの。

  1. オープニング: 司会者の谷原を紹介。谷原がスタジオに入場するシーンで提供クレジット表示。サイドパネルには「トップ賞を電話で予想しよう!」「公式ツイッターでもクイズに挑戦!」と表示。谷原が「今週も始まりました、『パネルクイズ アタック25』。司会の谷原章介です」と自己紹介。今回の解答者はどのような人か説明し、海外旅行獲得を目指すよう応援する。トップ賞予想クイズは電話で受け付け。
  2. オープニングクイズ: 25枚のパネルを使った隠し絵の問題。不正解の場合でもペナルティなし。
  3. 出題者紹介: 谷原が「続いて問題を差し上げるのは、加藤アナウンサーです」と紹介。ABCテレビの加藤明子アナが「加藤明子です。よろしくお願いします」と自己紹介し、2問目に入る。
  4. 問題出題: 読み上げ問題以外に、ビジュアルクイズ、音楽問題を出題。ビジュアルクイズは、アナグラム、四字熟語、4ヒント、あと1つは何、3択の問題、映画など多岐にわたる。
  5. アタックチャンス: 残りパネル5枚でアタックチャンスに入る。誰かが正解するまで継続。トップ賞予想クイズの受け付けはここで終了。
  6. ゲーム終了: 最も多くパネルを取った解答者がトップ賞を獲得。トップ賞予想が的中した人の中から抽選で3名に番組特製QUOカード1万円分が贈られる(当選者は次回放送のエンディングで発表)。加藤アナがトップ賞の商品、参加賞の商品を紹介、そして海外ペア旅行を紹介する。
  7. 海外旅行獲得クイズ
  8. エンディング: 谷原が「アタック25、また次回(年内最終放送の場合は「また来年」)、お目にかかりましょう。さようなら!」と挨拶。その日の解答者、もしくは優勝者の家族が「アタックチャンス!」のポーズをとり、記念撮影を行って終了。

ルール

  • 予選会に合格した応募者の中から選ばれた4人が赤・緑・白・青の席に座る(年間を通じて、赤が優勝する確率が比較的に高い)。
  • 最も早くボタンを押した解答者が出された問題に答え、正解すればパネルを獲得する。
  • 最初に正解した解答者は13番のパネルを自動的に取る。以降正解した解答者は以下のルールに従ってパネルを取る。
    • はさめるパネルがある時は、必ずはさむ。
    • はさめるパネルがない時は、次に正解した時にはさめるように取る。
    • それもない時は、これまでに取ったパネルにくっつけてパネルを取る。
  • これを踏まえて角(1番、5番、21番、25番)を取れるかが勝敗の鍵となる。
  • 問題が読み上げられてからおよそ7.5秒間はシンキングタイムのBGMが流れる。誰も押さなかった場合はスルーとなり、次の問題に進む。ただしビジュアルクイズや音楽問題の場合は、司会者の押すブザーで問題が終了、スルーとなる。
  • ボタンを押しても答えられないか間違えると、2問の間解答権を失い、解答席を立たなければならない。司会者はこれを「お立ち」と呼ぶ。この時は司会者がブザーを鳴らし、「お立ち」のBGMが流れる。2問が経つと解答権が復活。司会者はこれを「お戻り」と呼ぶ。オープニングクイズではこのペナルティを適用しない。
  • パネルが残り5枚になるとアタックチャンスとなる。アタックチャンスで正解するとパネルを1枚取った後、今後の展開に有利だと思うパネルを1枚消すことができる。消したパネルは「アタックチャンスの狙い目」として黄色い枠で表示され、次にはさめる解答者がそのパネルを取れる。アタックチャンスは誰かが正解するまで続く。
  • 25枚すべてのパネルが埋まったら終了。時間切れになるとウェストミンスターの鐘が鳴って終了。最も多くパネルを取った解答者が優勝。海外旅行獲得クイズに挑戦できる。2人もしくは3人が同じ枚数で並んだ場合は同点決勝を行い、先に正解すると優勝。解答者4人には獲得したパネル1枚につき1万円が賞金として贈られる。パーフェクト(25枚)の場合は賞金50万円。
  • 海外旅行獲得クイズはVTRで出題(主に、著名人物や都市の出題が比較的に多い)。VTR終了から5秒以内に正解すると海外旅行獲得(現在はハワイ島・オアフ島・ペア6日間)。
  • 前年12月からその年の11月までに原則として特別企画(芸能人大会・女子アナウンサー大会・夫婦ペア大会など)以外で獲得枚数が多かった上位解答者は『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」に出場できる(辞退者数次第で繰り上がり出場もある)。

海外旅行先の変遷

  • 番組開始 - 1995年9月: エールフランスで行くパリ(時期によってはニースカンヌ、ディジョンも。一時はパリではなくタヒチ)
  • 1995年10月 - 2000年2月: ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールド
  • 2000年3月 - 2001年3月: ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン
  • 2001年4月 - 2004年3月: パリ(時期によってはヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、モンサンミッシェル、ドイツ・ロマンティック街道、スイス・アルプスなどを含む)
  • 2004年4月 - 2005年3月: パリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間
  • 2005年4月 - 2006年3月: ローマ・パリ
  • 2006年4月 - 2007年3月: オーストリア・パリ
  • 2007年4月 - 2008年3月: パリ・ミラノ
  • 2008年4月 - 2009年3月29日: スペイン・パリ
  • 2009年4月5日 - 2010年5月30日: 地中海クルーズ(ここからペア旅行で固定)
  • 2010年6月6日 - 2012年3月25日: エーゲ海クルーズ(2011年5月11日放送分から一部旅行先変更)
  • 2012年4月1日 - 2014年3月30日: スペイン・フランス・イタリアを巡る地中海クルーズ
  • 2014年4月6日 - 2019年3月31日: 豪華客船で行く地中海クルーズ
  • 2019年4月7日 - : 日本航空直行便で行くハワイ島・オアフ島

余談

一時は旅行獲得クイズに正解したときにくす玉による紙吹雪演出があった。また、紙吹雪と共に出てくる紙テープはフランス国旗のような、赤・白・青の3色が使われていた。1995年10月からは、時代の流れなのかくす玉の代わりに舞台照明を使って解答席の壁を照らす演出になって現在に至っている。


特別番組

さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜

2011年5月16日に児玉清が亡くなり、ABCは翌17日に『アタック25』の公式サイトで児玉への追悼メッセージを掲載した。そして22日、ABCはクイズ大会の放送を休止し、追悼特別番組『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』を全国放送した。収録は19日。ABCアナウンサーの浦川泰幸と加藤明子が司会を担当した。児玉の俳優としての活動、『アタック25』における名場面・児玉の名語録を映像で振り返り、石坂浩二福山雅治がVTRで児玉との思い出を語った。


著名人の参加

ここでは予選会を通過した人のみを掲載する。


森内俊之将棋棋士。クイズマニアとして知られ、1995年に一般応募から出場を果たすも、結果は1枚。2005年に行われた1500回記念のタレント大会に出場した際は、優勝を果たす。


宇治原史規ロザン)…京都大学出身のインテリ芸人。2017年10月8日放送分に一般参加者として応募し予選会から勝ち上がってきたが、結果はパネル0枚。


中山女子短期大学…ピン芸人。「R-1ぐらんぷり2014」ファイナリスト。2019年4月14日放送分に一般応募から出場を果たす。20枚を獲得し優勝する(ただし、ハワイ旅行獲得クイズには不正解)。


関連イラスト

その人物とは!大事な大事なアタックチャ~ンス!!


関連タグ

児玉清 コロンビア 朝日放送

テレビ番組 クイズ 北アルプス オセロ

エールフランス:第1回から1995年9月までパリ(パリの他にニース、カンヌ、ディジョン、あるいはタヒチ)旅行を提供した。


博多華丸・大吉…華丸が児玉清のモノマネ芸で「R-1ぐらんぷり 2006」優勝、アタック25の芸能人大会では2人とも解答者として出場、共演も果たした。


外部リンク

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました