オハイオ州シンシナティのグレート・アメリカン・ボールパークを本拠地とするMLB球団。
1871年に創設され、1890年に現在の名称になりナショナル・リーグに加盟。
東西2地区制だった1969年から1993年は西地区、3地区制となった1994年からは中地区に所属。
1919年に初めてワールドシリーズを制覇したが、この年は対戦相手ホワイトソックスが八百長しており、勝たせてもらったものだった。
MLBで初めて本拠地球場(当時はクロスリー・フィールド)に夜間用の照明を設置し、1935年5月14日にMLB史上初のナイトゲームを開催した。
1938年にはジョニー・ヴァン・ダー・ミーアが今なおMLB史上唯一の2登板試合連続ノーヒットノーランを記録した。
1944年6月11日には、ジョー・ナックスホールがMLB最年少となる15歳10か月と11日でデビュー。しかしナックスホールはこの日限りでマイナー落ちし、再昇格まで8年を要した。
1954年から1958年にかけて、マッカーシズム(反共産主義運動)の攻撃を回避するためレッドレッグスを名乗っていたが、同運動が下火になるとチーム名は元のレッズに戻った。
1970年代にはビッグ・レッド・マシンと呼ばれる球団史上最高の黄金期を迎え、10年間で6度の地区優勝、4度のリーグ優勝、2度のワールドシリーズ制覇を達成した。特に1976年はポストシーズンを無敗で7連勝する圧倒的な強さだった。
1985年にはマージ・ショットが女性としてはMLB史上2人目となる球団筆頭オーナーになったが、人種差別やナチス信奉、ヒトラー賞賛発言を繰り返したため、1999年に筆頭オーナーの座を追われた(しかし保有する球団株は最期まで手放さなかった)。
NPBとMLBとの間にポスティングシステムという移籍制度が出来ると、いち早くそれを利用して広島東洋カープからアレファンドロ・ケサダを獲得したが、結局ケサダはメジャーへ昇格は出来なかった。
過去には奉重根、金善宇、秋信守の3人の韓国人選手が在籍していたが、日本人選手を対象としたスカウト活動をカネの無駄として日本人とは契約しない方針を執っていたため、MLB30球団の中で日本人選手の受け入れが最も遅かった。
一応、2017年オフに大谷翔平がポスティングした際には獲得に動いたものの、大谷側から契約交渉すらしてもらえずに終了した。
下部組織を含めても、2019年8月に田澤純一がマイナー契約で入ったのが初めてであり、在日米軍基地生まれなど“日本生まれのアメリカ人”すら過去に在籍が無く、埼玉西武ライオンズからFAとなり3年契約した秋山翔吾が初の日本人選手となる予定である。
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広島東洋カープ…1989~1995年までレッズモデルのユニフォームを使用。また1991~1997年の間、シンシナティの姉妹都市である岐阜市にある長良川球場で主催による公式戦(相手は全て中日ドラゴンズ)も行われていた。