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概要

1982年7月13日生まれ。

2000年にシアトル・マリナーズと契約し、傘下マイナーからプレーをスタート。元々投手だったが、渡米後は打者に転向した。

2005年に初めてMLBに昇格。

四球を抜群な選球眼で選び、キャリア通算の出塁率が打率に比べて非常に高かったのが特徴。2013年メジャーリーグ30球団の監督を対象にした部門別最高選手アンケート調査では、ナショナルリーグ選球眼部門3位に入った(ただし、三振も非常に多い)。

一方で、守備を苦手としており主要な守備指標であるUZRでは通算-36.4、DRSでは-69を記録している(共に2020年終了時)

2018年には松井秀喜氏が持つアジア人野手の最多本塁打数を超える176本塁打を初めて記録し、最終的に218本塁打に更新。この記録は2024年9月11日ドジャース大谷翔平選手がMLB通算219本塁打を放つまでは、長らくアジア選手におけるMLB通算最多本塁打記録であり、一種のアンタッチャブルレコードにもなっていた。

2021年2月22日に韓国のKBOリーグSSGランダーズに移籍。

2024年シーズン終了後に現役を引退した。

余談

秋氏は大谷選手に記録を抜かれたことについては特に反応を示していない。上記のように元々秋氏は選球眼を活かして出塁することを得意としており、ホームランを打ちまくるパワーヒッターとは言い難い存在であった。このため、秋氏自身もホームランの最多記録にはあまり拘りを持っていなかったとも考えられる(加えて、当時はKBOもシーズンの佳境を迎えておりそれどころではなかったという事情もあったのかもしれない)。

ちなみに、大谷選手も秋氏のアジア選手最多本塁打記録のことはまったく把握しておらず、記者から指摘されて初めてそのことを知ったそうである。

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秋信守
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