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トヨタスポーツ800の編集履歴

2021-01-26 18:14:51 バージョン

トヨタスポーツ800

とよたすぽーつはっぴゃく

トヨタ自動車が1960年代に製造・発売していた自動車。

概要

パブリカの車体とエンジンを流用する形で開発されたスポーツカー

1965年から1969年にかけて3131台が作られた。

トヨタにとって初のスポーツカーであり、2018年のカローラスポーツの登場まで、長らく「スポーツ」を(グレード名ではなく)車名に持つ唯一のトヨタ車でもあった。


ヨタハチの愛称で若者を中心に人気を博したが、海外に輸出はされていない(理由は後述)。同クラスのホンダS600(Sロク)、S800(Sハチ)とは、国内レースで何度もしのぎを削ったライバル同士で、市販車の人気も二分していた。


航空機のキャノピーの技術を応用し、思い切り空力を重視するという、当時としては非常に斬新なデザインを持っていた。さらにポルシェに先んじてタルガトップを採用するなど、車体そのものにも徹底的な軽量化を施し、車体総重量わずか580kgという超軽量ボディを実現。その結果、パブリカ用エンジンに多少のチューニングを加えただけで、最高速155km/hという当時の小型車としてはかなりの高性能マシンと化した。

さらに軽量化と空力の賜物で公道では31km/Lという破格の低燃費を記録しており、タイヤへの負担も軽かった。そのため耐久レースで「ピットイン回数が極端に少ない(=ピットでのタイムロスが少ない)」というアドバンテージを持っていた。1966年の第一回鈴鹿サーキット500kmレースで、エラン(ロータス)やスカイラインGT(プリンス自動車)などの格上を相手に、ただの一度もピットインせずに走りきって総合1-2フィニッシュを決めたのは特筆すべき戦果だろう。


「軽量化と空力で速度と燃費の向上を図る」という、現代にも通じる(むしろ、現代でこそ求められる)設計思想と、その丸みを帯びた愛らしいデザインは評価が高く、中古車は高値で取引されている。とはいえその値段は200万~300万円と、2000GTに比べれば格段に安価であり、退職した男性が趣味用のセカンドカーとして買い求める例も多い。ただし50年以上前の車種であることには変わりなく、部品はほぼ残っていないので、同価格帯の新車に比べると維持費はとんでもない額になるので注意が必要である。


2017年にはトヨタがGAZOO Racingのプロジェクトの一環で「スポーツ800 GR CONCEPT」として、前述の鈴鹿500kmを走った個体を流用した上でレースチューニングを施している(非売)。


ちなみに「水平対向エンジン+FRライトウェイトスポーツカー」というパッケージングは偶然にも2012年発売の86/BRZに受け継がれている。もちろん重量・パワーその他諸々全く違うものであることは言うまでもないが、ヨタハチは買えないけどどうしてもヨタハチの息吹を感じたいという人は、86を買って思いを馳せてみるのも良いかもしれない…。


開発エピソード

設計はクラウンパブリカの開発に関わり、のちに初代カローラの開発も担当し、「80点+α主義」の金言を遺した長谷川龍雄。東京帝国大学工学部を卒業し、戦時中は立川飛行機で戦闘機の設計を行っていた経歴も持つ。

長谷川曰く、ヨタハチの開発はパプリカの仕事が終わり、次のカローラの企画が始まるまでの暇つぶしでやった実験的な作品でしかなかったという。


しかしこの暇つぶしでパプリカベースのスポーツカーを作ろうと考える人がいなかったら本車は登場しなかった訳で、ひいては2000GTAE86は現れなかったかも知れない。


元航空技術者だった長谷川は、「戦闘機のイメージを持つスポーツカーを作ってみたい」と考え、パブリカの開発と並行して少しずつ研究を進めていた。

もともと発売予定などなかったため、ボディはFRP製。ドアはなく、戦闘機同様のスライドキャノピーを装備するといった大胆な設計だった。

既存のモデルをベースに、空力と軽量化で性能を上げるというコンセプトは、私的な研究であるために会社の設備や人手を割けなかったという事情に由来する。


もともと発表する予定もなかったのだが、1962年に東京モーターショーにコンセプトモデルを出品。それがまた大好評を博したので、販売担当者の要望で実売に至った。

さすがに実売にあたっては、安全面や乗り降りに不安があるスライドキャノピーなどの先進的な装備はオミットされたが、全体的なシルエットはほとんど変わっていない。


長谷川としては、片手間に作った車が公道を走ることに不安を覚えていたようで、発売にはあまり乗り気ではなく、特に輸出に関しては断固反対を貫いていた。

これは本車がスポーツカーらしく見えても、パプリカをベースにしたものだとアメリカのハイウェイを長期的に高速で飛ばすような乗り方には耐えられないと判断したためであった。実際当時の初代クラウンも高速走行に耐えられず、北米の販売は散々な結果で撤退している。

このため少数の個人輸入を除いて、海外販売の実績はない。その後トヨタのスポーツカーの海外進出は2000GTでようやく果たす事になる。


ちなみに、このパブリカスポーツの実車は現存しておらず、現在見ることができるのは2012年になってから復元されたものである。


ヨタハチを愛車としたキャラクター

逮捕しちゃうぞ トヨタスポーツ800(MSXで描いた絵です)


サーキットの狼

逮捕しちゃうぞ

よろしくメカドック


関連タグ

トヨタ

パブリカ:ベースとなった車両

スポーツカー 2000GT

ヨタハチ:愛称

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