概要
本名は「矢野輝弘」(読みは同じ)であるが、2009年から「矢野燿大」を登録名にしており、現役を引退した現在でも「矢野燿大」の名前で活動している。
東北福祉大学から1990年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け、入団。
入団一年目から一軍出場を果たしたが、当時の中日には正捕手中村武志がおり、あまり目立つ選手ではなかった。入団後しばらくは中村を助ける控えのキャッチャーとしてプレーしていたが、打撃力を買われて外野手として出場したこともある。
1997年オフに大豊泰昭と共に、関川浩一・久慈照嘉との交換トレードで阪神タイガースに移籍。当時の監督であった吉田義男にリード面を評価され、それまでの正捕手山田勝彦に代わってすぐに正捕手の座を勝ち取ると、2003年、2005年の阪神リーグ優勝の立役者として貢献した。
だがその後、故障が相次いだことや、2010年にシアトルマリナーズから城島健司が加入したことが要因で、出場機会が少なくなり、同年に現役引退を表明した。
引退後は2015年までプロ野球解説者として活躍。2016年シーズンから、阪神タイガースの一軍作戦兼バッテリーコーチに就任。2018年シーズンからは二軍監督として指揮をとり、チームを前年最下位から、8年ぶりのウエスタンリーグ優勝にまで押し上げた。
二軍とは対照的に、17年ぶりに最下位に終わり引責辞任することとなった金本知憲の後を受け、2019年シーズンからは一軍監督として指揮をとることとなった。
背番号
2(1991年 - 1995年):中日ドラゴンズ
38(1996年 - 1997年):中日ドラゴンズ
39(1998年 - 2010年):阪神タイガース
88(2016年 - ):阪神タイガースバッテリーコーチ →2018年より二軍監督 →2019年より一軍監督
人物
阪神時代、「阪神で一番短気」と言われることもあった。事実、年に一度のペースで乱闘寸前になることがあり、投手を叱咤することも見られた。また、審判の判定に不服を示す素振りも見られ、1998年と2006年に審判に対する暴力行為で退場処分を受けている。
井上一樹とは中日時代からの親友であり、野球観も同じだという。
阪神の監督就任に当たり、「なんとか阪神でやってくれないか」「一樹しかおらんのや、頼む」と中日一筋であった彼をダメ元で口説き落とし、コーチに引き入れた。
その仲の良さは本人をして「こんなおっさん(同士)がらぶらぶで恥ずかしいんですけど」と笑顔で語るほど。
声優の水樹奈々は矢野のファンであり、それを聞いた矢野は水樹が2006年に行った日本武道館ライブにビデオメッセージとサインボールを送ったことがある。