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斎藤佑樹の編集履歴

2021-10-04 22:20:21 バージョン

斎藤佑樹

さいとうゆうき

群馬県出身のプロ野球選手。

概要

1988年6月6日生まれ、群馬県出身。A型・投手。右投右打。

現役時代は北海道日本ハムファイターズでプレー。


学生時代

通称ハンカチ王子2006年夏の甲子園大会に早稲田実業高校のエースピッチャーとして出場した際、マウンドで汗をハンカチで拭く様子から呼ばれるようになった。


MAX147km/hの速球と優れたコントロール、それらを維持する無尽蔵のスタミナでトーナメント表を駆け上がり、田中将大を擁する駒大苫小牧(夏2連覇)と決勝で激突。

延長15回引き分けという壮絶な投げ合いを演ずるも決着はつかず、翌日の再試合9回裏でバッター田中を打ち取り優勝を決めた。


プロ入りも含めて進路が注目されていたが、早稲田大学に進学。大学2年生時に左の股関節を痛めてからは投球フォームの変更を余儀なくされ、これに加えてプロ入り後の故障の結果、球速や制球力の悪化に影響することになる。

大学4年時のドラフト会議では同級生の大石達也福井優也両投手とともに「早大三羽ガラス」として注目され、4球団の抽選の結果、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し入団。後日札幌ドーム新庄剛志以来となる単独入団会見が行われた。


プロ入り後

プロ初先発試合は2011年4月17日、対ロッテ戦で初勝利。オールスターの最後の一人を決めるプラスワン投票でパ・リーグ1位となり、1年目からオールスターに出場した。この年はシーズン途中に左脇腹を痛めたものの6勝を挙げる。


2012年、開幕投手に指名することを栗山監督が発表。賛否両論というか否の方がはるかに多い世論の中、9回4安打1失点の好投で完投勝利。チームとしても4年ぶりの開幕勝利となった。


しかし、その後は右肩の故障など怪我もあってイマイチ活躍できず。2017年からは背番号を1に変更したものの2018年2019年共に勝利試合はなく、2020年に至っては一軍出場なしという有様であった。

そして2021年、シーズン限りでの現役引退を表明。かつて甲子園を沸かせたスーパーヒーローとしてはあまりにあっけない幕切れであった。


評価

高校時代の輝かしい実績と、プロ入り後の凋落ぶりからしばしば嘲笑の対象にされており、引退の数年前から「これだけの低成績でなぜクビにならないのか」「球団と密約があったのではないか」と囁かれていた。

また、結果が伴わないにも関わらず「大学野球はレベルが低い」「日本一の18番といえば斎藤」等のビッグマウスも反感を買っており、アンチからの総評は「マスコミにちやほやされて調子に乗った結果、慢心して失敗した」というものになる。


しかしながら、天狗になるだけの実績を重ねてきたのも事実であり、特に田中将大坂本勇人ら粒揃いの同世代を抑えて日本一を取った実力は紛れもない本物である。2006年夏の甲子園だけが注目されがちだが、同年秋の国体でも田中を抑えて優勝を決めており、甲子園での勝利は決してまぐれなどではなかった。

プロ入り後の低迷は、大学時代に負った股関節の故障が原因とされ、そんな状況でも30勝300奪三振を記録したり、プロ初年度で6勝を挙げられたことが、彼の非凡な能力の証左と言える。


引退が決まったことで、彼を叩いていた人々も気持ちが落ち着いたのか、「大学で壊されたのが悪い」「高校時点で有望な選手は進学すべきでない」「もし高卒即プロ入りしていれば」など、高校卒業時点での選択を惜しむ声も上がっている。



エピソード

  • 登場曲は勇気100%。2011年のみチームメイトだった松坂健太ご推薦。
  • 意外と天然。iPhone振って飛距離出すゲームで本当にiPhoneを投げた(武田勝談)。
  • ドライビングテクニックはイマイチ。
  • 2018年4月4日の鎌ヶ谷での二軍練習にて二塁手の守備に就く斎藤が目撃され、「二刀流挑戦か?」と思われた…が、実はユニホームが届いていないため斎藤のものを借りていた杉谷拳士というオチだった。

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