ロンドン海軍軍縮条約
ろんどんかいぐんぐんしゅくじょうやく
ロンドンで行われた海軍軍縮会議に基づいて締結された条約。
第一次ロンドン海軍軍縮条約
ワシントン海軍軍縮条約を締結後、条約締結国では制限外となっていた基準排水量1万トン未満の巡洋艦の武装強化や駆逐艦の大型化などを主とする艦船の建造競争に明け暮れていた。
本条約はそれらにも制限を課すもので、1930年1月から同年4月にかけ、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五か国が参加して国際会議が行われ、フランスおよびイタリアは潜水艦の保有量制限に反発して部分的な参加にとどまったものの、同年4月22日に調印。その後、調印したすべての国が批准するに至った。
具体的には以下のとおり。
- 日本の補助艦全体の保有率を対米比6.975
- 戦艦建造中止措置の5年延長、および既存艦のさらなる削減。ただし、削減対象となった戦艦のうち1隻は武装、装甲、機関を軽減することによって練習戦艦として保有を継続することができる。
- 空母は基準排水量にかかわらず、すべてを条約の保有制限の対象として算入する。
- 6.1インチより大きく8インチ以下の主砲を持つものを重巡洋艦(巡洋艦カテゴリーa)とし、保有できる基準排水量の合計を米18万トン、英14万6800トン、日10万8000トンとする。
- 5.1インチより大きく6.1インチ以下の主砲を持つものを軽巡洋艦(巡洋艦カテゴリーb)とし、保有できる基準排水量の合計を米14万3500トン、英19万2200トン、日10万450トンとする。
- 駆逐艦の備砲の上限を5.1インチ以下とし、保有できる基準排水量の合計を米英各15万トン、日10万5500トン、1艦あたりの排水量は600トン以上1850トン以下とし、1500トンを超える艦にあっては合計排水量の16%とする。
- 潜水艦の合計排水量を5万2700トン、1艦あたりの上限排水量は2000トン、備砲の上限は5.1インチ以下とする。ただし、3艦に限り上限排水量2800トン、備砲の上限を6.1インチ以下とする。
- この例外規定は、当時のアメリカ海軍に原則を上回る潜水艦が3隻あったことによる措置である。
- 排水量1万トン以下、速力20ノット以下の特務艦、排水量2000トン以下、速力20ノット以下、備砲6.1インチ砲4門以下の艦、および排水量600トン以下の艦は無制限。
影響
- 既存の戦艦の削減にかかる条項により、アメリカ、イギリス、日本が保有する戦艦について、次のとおりとなった。
- 条約の制限下で軍備を整えるため、条約締結以降の新造艦では、条約を締結した各国において次のようなことが行われた。
- 日本、アメリカにおいて、小さい船体に無理やり重武装を載せようとして重心の高い艦が多く建造された。特に日本においては友鶴事件・第四艦隊事件が起きる原因となり、そこまでには至らずとも、条約型駆逐艦の初春型駆逐艦や白露型駆逐艦は評価が低い物となっている。
- 日本では、条約明けに改装することを見越して偽軽巡洋艦(主砲の設備を8インチ砲対応で換装容易な構造にしておき、当初は6.1インチ砲を搭載)、偽装空母(空母に容易に改造できる構造の船舶を空母以外の艦種や商船として建造しておく)を建造した。
- 条約を締結した一部の国では政治的混乱が発生した。
第二次ロンドン海軍軍縮条約
第一次ロンドン海軍軍縮条約の改正を目的として1934年に予備交渉が開始されたものの不調に終わり、同年12月に日本はワシントン海軍軍縮条約の破棄を加盟国へ通知、1936年1月にはイタリアとともに軍縮会議からの脱退も通知した。
その後、1936年3月25日、アメリカ、イギリス、フランスによる三か国条約として締結された。
- 建艦案の通知、及び情報交換。
- 戦艦にかかる規制を変更し、1艦あたりの上限について基準排水量を35000トン、主砲を14インチ砲とする。
- 空母にかかる規制を変更し、1艦あたりの上限について基準排水量を23000トン、備砲を6.1インチ砲とする。
- ワシントン海軍軍縮条約を批准した国で、1937年4月1日までに本条約への調印、批准に至らない国があったときは、建艦の制限を緩和する。(エスカレータ条項)
条約の終焉
1936年、日本が第二次ロンドン海軍軍縮会議を脱退したことで、1934年12月にワシントン海軍軍縮条約の破棄を通知していたこともあって日本には一連の海軍軍縮条約が適用外となった。
1938年には第二次ロンドン海軍軍縮条約締結国においても建艦の制限を緩和するエスカレータ条項が発動、第二次世界大戦に至る制限なき軍拡競争が始まった。