ワイオミング級
わいおみんぐきゅう
ワイオミング級はアメリカ海軍の戦艦であり、また米戦艦としては最後となる、12インチ砲搭載のド級戦艦である。
ドレッドノートの登場に前後して整備されたサウスカロライナ級の就役以降、
単一巨砲艦の整備を進めていたアメリカ海軍は、1910年度の計画にて外国戦艦に対抗するに十分な14インチ(35.6センチ)砲搭載艦の整備を検討した。
しかし、当時のイギリスが超ド級戦艦を保有していなかったことから、
対費用効果に優れ、かつ14インチ砲10門搭載艦に対抗可能な12インチ(30.5センチ)砲12門搭載艦を整備することとなった。
結局、12インチ砲艦として建造されることになった本級だが、
2隻が竣工した1912年にはもう超ド級戦艦の時代が到来しており、散布界が不良であったことも含めて、攻撃力に問題があると評価された。
しかしながら、本級2隻は改装を受けつつ、1940年代まで活動しており、
特にアーカンソーは第二次世界大戦に(戦艦として)従事した唯一の米ド級戦艦であった。
本級は主砲として12インチ50口径砲を12門を装備した。
本級は全主砲塔を連装とし、1・2番砲、3・4番砲、5・6番砲の各2基ずつが背負い式で配置されたが、この配置は日本の連装形式12門艦である伊勢型戦艦などにも見られるものである。
しかしながら、船体サイズに対して多すぎる砲塔は斉射時の動揺性を劣悪なものとし、
さらには軽量弾を高初速で撃ち出す主砲の仕組みが災いして、散布界がとくに不良であった。
その後、砲弾の改良や装薬量の調節などの改良が行われ、海軍休日に至るまでの間に攻撃面での不良はある程度改善された。
因みにアラスカ級大型巡洋艦の主砲は本級の主砲を改良し、SHSの運用を可能にしたものである。
本級は就役時より副武装として51口径5インチ副砲と水中魚雷発射管を装備した。
竣工時点では高角砲など対空兵装は装備されていなかったが、
1916年に50口径3インチ高角砲を追加で装備され、1928年には12.7ミリ機銃が装備された(この時には雷装撤去済み)。
ロンドン条約締結に際して改装されたワイオミングは、砲術練習艦として各種の対空兵器が搭載されており、40mm機銃の四連装モデルを試験目的で搭載した他、対空射撃訓練を行うために38口径5インチ両用砲を装備した。
第二次大戦の勃発を受けて現役復帰したアーカンソーには40㎜機銃や20mm機銃といった対空機銃が増設されたものの、5インチ両用砲といった小口径対空砲の装備は行われなかった。
本級は就役当初、測距儀といった観測装備や射撃指揮装置の類を搭載していなかったが、第一次大戦後には測距儀が主砲塔上に設置され、マストには射撃方位盤を装備するなどの改装が実施された。
第二次大戦以降、現役復帰したアーカンソーには対空捜索レーダー・SKや対水上捜索レーダー・SGが装備され、前部マストの主砲用射撃方位盤にはMk.3射撃管制レーダーを装備した。
5インチ砲用射撃方位盤は設置されなかったが、1945年にはワイオミングにMk.37射撃方位盤が搭載された。
本級は石炭・重油混焼ボイラーを使用する直結タービン機関を備え、20ktの速力が発揮可能だった。
デラウェア級以降、米ド級戦艦の速力は20ktに設定されており、同時期のイギリス戦艦・コロッサス級の速力は21ktであることも考慮すると、速力は適当であったと考えられる。
第一次大戦後にはボイラを換装して重油専焼缶としているが、
この換装によって燃費が向上し、機関出力が上昇したことで速力もまた増加。航続力が増したことで対日渡洋作戦に随伴可能な能力を獲得することとなった。
海軍休日時代
1922年、ワシントン条約にて戦艦の建造が不可能になると、既得戦力の強化のため、本級は1925年〜1927年の間に近代化改装が実施された。
しかしながら、既にド級戦艦として第二線級であった本級の改装は小規模なものであり、近い将来に艦隊から退かれるだろうことが予想された。
1930年にはロンドン条約が締結され、ワイオミングは廃艦となって砲術練習艦に改装。姉妹艦のアーカンソーは引き続き保有されることとなったが、決戦兵力から除かれて練習戦艦となった。
本級は性能の陳腐化と老朽化に伴い、条約明けの新戦艦就役に合わせての退役が予定された。
砲術練習艦ワイオミング
ロンドン条約にて廃艦が決まったワイオミングは主砲塔3基を撤去、装甲を減じて砲術練習艦となる。(艦種記号をBB-32からAG-17に変更。AGはAuxiliary Genericの略か、雑役艦の意。)
1940年頃には雑役艦ユタと同様の無線操縦可能な標的艦に改装することが考慮されたが、
第二次大戦の影響か、対地火力支援が可能な対空射撃訓練艦になることとなった。
この改装でワイオミングは副砲を撤去して、38口径5インチ両用砲を搭載した他、40mm機銃の四連装型を試験的に装備し、性能調査のための砲術試験を行った。
1945年以降は主砲搭を全廃して、5インチ両用砲の射撃訓練艦として活動しており、戦後の1947年にアメリカ海軍から除籍された。
練習戦艦アーカンソー
ロンドン条約においても保有が認められたアーカンソーであったが、その能力は陳腐化しており、実質「練習戦艦」の扱いであった。
しかしながら、第二次大戦の勃発により大西洋方面における戦艦戦力捻出の必要性が生じ、大幅な近代化改装を実施の上で「戦艦」に復帰した。この改装によって、アーカンソーの前部マストは三脚化され、各種レーダーと対空機銃が新たに搭載された。
復帰したアーカンソーは大西洋方面で船団護衛や艦砲射撃の任に就くと、
北アフリカ侵攻作戦の支援に従事し、オーバーロード作戦やドラグーン作戦では艦砲射撃を行ってドイツ軍海岸砲台との砲撃戦を経験した。
1945年には太平洋方面に回航され、硫黄島攻略、沖縄戦での支援任務に従事した後、同年8月にフィリピンで終戦を迎えた。
アーカンソーは復員兵の輸送任務を終えた後に廃艦となり、
1946年にクロスロード作戦へ標的艦として参加。
ABLEの空中爆発を耐えるも、二発目のBAKER水中爆発を受けて沈没した。
アーカンソーは1946年に除籍されたが、船体はビキニ環礁に沈没したままとなっている。