フェノーメノ
ふぇのーめの
概要
馬名 | フェノーメノ |
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英語表記 | Fenomeno |
生年月日 | 2009年4月20日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 青鹿毛 |
父 | ステイゴールド |
母 | ディラローシェ |
母の父 | デインヒル |
通算成績 | 18戦7勝 |
馬主 | サンデーレーシング |
生産牧場 | 追分ファーム |
管理調教 | 戸田博文厩舎(美浦) |
ファンからの愛称は「マメちん」。
最初に呼び始めたのは戸田調教師で、幼い頃からの漆黒の馬体が黒豆を連想させたからという理由である。ちなみにニックネームとは相反して500キロ前後の大型の馬体であり、父ステイゴールドとはその面ではあまり似ることはなかった。
生涯
〜2歳まで
2009年に生まれ、2011年10月30日の新馬戦で岩田康誠を鞍上にデビュー。きっちり勝利して幸先のいい現役スタートとなった。しかし次走のホープフルSでは1番人気ながら7着と敗れてしまう。
好走するも栄光の掴めない3歳時代
明けて2012年、条件戦を勝利して2勝目を挙げたものの皐月賞トライアルの弥生賞では6着と敗れてクラシック1戦目の皐月賞には出走はならず。
騎手を岩田から蛯名正義へと変えて望んだダービートライアルの青葉賞では1番人気に応え、追い込みで3勝目を手にし、ダービー出走権を得る。
東京優駿では5番人気。というのも競馬界には「青葉賞で勝った馬はダービーで勝てない」というジンクスがあったためである。1番人気は皐月賞2着のワールドエースであった。
レースは中団で進め、最後の直線で抜け出したディープブリランテを外から猛追し、ゴール板はほぼ並んで通過。しかし写真判定の末惜しくもハナ差で届かずジンクス通りになってしまった。
陣営にとっては悔しい2着となってしまったものの彼の走り自体は評価され、期待を受けて秋シーズンに進む。
秋初戦はセントライト記念。ここでは好位からきっちり抜け出して勝利。菊花賞と秋の天皇賞のどちらに進むか判断を迫られるが、陣営は距離不安からか天皇賞を選択。古馬との戦いに臨む。
天皇賞ではNHKマイルカップを勝利したカレンブラックヒルとの間で人気を分け合うが一番人気。大逃げの一頭を揃って追う展開となり、最終コーナーから鋭く抜け出したエイシンフラッシュにわずかに及ばず差し切られ、半馬身差の2着で初G1勝利はならなかった。
その後はジャパンカップへと進むがジェンティルドンナとオルフェーヴルの三冠馬同士の叩き合いに追いつくことができず、更にルーラーシップらにも交わされて5着。なんとか掲示板は確保したもののトップクラスとの力の差を見せつけられてしまった。
ちなみにこのレースでは4着のダークシャドウを除いた上位5頭が全てサンデーレーシングの所属馬であった。
悲願達成の天皇賞(春)
4歳となったフェノーメノは日経賞(G2)からスタート。1番人気に支持され、その期待に応えて前年の優勝馬ネコパンチやカポーティスターらをまとめてねじ伏せて1着。春の天皇賞へと向かう。
天皇賞では前年の二冠馬にして有馬記念を制覇していた同期のゴールドシップにやや離された2番人気に推される。レースは中団から徐々に位置を上げ、最後の直線で抜け出して先頭に立つと、伸び悩むゴールドシップを尻目に見ながらトーセンラーの追撃を意に返さず押し切って1着でゴール。完勝で念願のG1初勝利を掴み取った。
天皇賞での勝利により国内ではジェンティルドンナ、オルフェーヴル、ゴールドシップらと並ぶ四強と目されることになり、彼らとの決戦に宝塚記念へと向かうこととなった。
宝塚記念はオルフェーヴルが肺出血で回避し、ジェンティルドンナ、ゴールドシップに次ぐ3番人気となった。レースは珍しくゴールドシップのスタートが良くジェンティルドンナと先行集団、フェノーメノは中団で待機することになるが、ぬかるんだ馬場の中で最後の直線で一気に加速したゴールドシップに置いていかれ、ジェンティルドンナを差すこともできず4着。
秋は天皇賞に向かう予定であったが、左前脚の繋靱帯炎を発症し休養。結局宝塚記念を最後にシーズンを終えることになる。
再びの栄冠、そして……
長い休養を終え再び日経賞からスタートしたが5着。これが天皇賞での人気に響き、前年覇者でありながら4番人気に評価を落とす。1番人気は前年ダービー馬のキズナ、宿敵ゴールドシップも2番人気に支持されていた。
本番ではキズナやゴールドシップが後方に遅れる中できっちり中団のインコースに位置取ってレースを進める。これが功を奏したか、最後の坂を越えたところで間を割って抜け出すと、ウインバリアシオンらの追撃を振り切り連覇を達成した。天皇賞(春)の連覇はメジロマックイーンやテイエムオペラオーら錚々たる名馬に次ぐ史上3頭目。きっちり復調して、これまで果たせなかった秋の王道G1制覇へと意気揚々と乗り出す……はずだった。
秋は天皇賞から始動するも、全くいいところなく14着と大敗。ジャパンカップでは3歳の弥生賞ぶりに岩田とコンビを組むが8着、有馬記念もジェンティルドンナが見事に復活しラストランを飾る中で伸び脚に欠け10着。
それでも春の天皇賞3連覇を目指して現役続行するも、日経賞で8着。その後左前脚に重度の屈腱炎を発症し、天皇賞に出走することなく現役を引退することとなった。
彼のいなくなった天皇賞を勝ったのは何度もやり合ってきたゴールドシップ。なぜお前はそんなに頑丈なんだ……
競走生活引退後は種牡馬となるも目立った成績を残せず、ステイヤー型の実績が嫌われたのか早くも2021年に引退。功労馬として故郷の追分ファームで余生を送っている。
性格・エピソード
気性難で有名なステイゴールド産駒の中では(比較的)真面目な性格だった。
大型の体躯からか美浦トレーニングセンターの馬たちの中でもボス格(朝青龍と呼ばれた)であり、同じステゴ産駒で栗東のボスであるゴールドシップとは仲が悪く、レースで顔を合わせる度に威嚇されていたという(特に2014年の春天の際にはゲート内のゴールドシップに馬とは思えないような野太い声(例えるなら熊が吠える声に近い)で威嚇されている)。体色が黒いフェノーメノと白いゴルシとで対照的でもあり、名実ともに因縁のライバルと呼ぶに相応しい関係だろう。彼とは3勝2敗であった。