概略
太平洋戦争期に存在した大日本帝国海軍の戦隊の1つ。
構成艦は時期により入れ替えが多く、比較的長く属したのは軽巡・鬼怒。
レイテ沖海戦と同時に行われた第一次多号作戦で所属艦が青葉のみとなり、その青葉も本国に戻ったため事実上解散となった。
開戦時の編成(1941年12月)
[pixivimage:64265784&page=3:s]※本作品3ページ目参照
- 足柄は16戦隊の上部組織南西方面艦隊旗艦となり16戦隊を離れる。その後、第五艦隊へ。
- 球磨は第三南遣艦隊のフィリピン攻略のため16戦隊から離脱。(その後復帰)
- 長良は第一根拠地隊の旗艦(21駆初春と衝突し一時同駆逐隊初霜が代理)を経て第十戦隊旗艦になる。
1942年3月の編成
- 名取は解散した第五水雷戦隊から編入。その後、第三水雷戦隊に移籍、三水戦解散直前に戦没。
- 五十鈴は解散した第十五戦隊からの編入。その後、第二水雷戦隊旗艦神通の代打として二水戦旗艦に復職、その後修理を経て同時期修理完了した元第四水雷戦隊旗艦那珂と第十四戦隊を編成。その後、名取の後をついで三水戦の後継組織である第三十一戦隊旗艦。レイテ沖海戦では小沢艦隊に属した。
- 鬼怒は第四潜水戦隊旗艦からの編入。以降、本戦隊解散(戦没)まで所属する。
「球磨ちゃんにはずいぶん助けてもらったんだ」と図鑑で述べているのも当隊の縁。
その後の編入艦
- 旧第九戦隊(北上・大井) 43.7.1編入。同時に開戦時所属の同型艦球磨も復帰。球磨・大井は所属中に戦没するが、北上は本土に戻り回天母艦に改装を受け、16戦隊から離れる。
- 旧第六戦隊(青葉) 43年11月編入。44年3月には当隊旗艦。
天霧戦没時には同艦生存者救助も行う。
43.9.20に磯波が単独で編入(その後戦没)。44.3.1、旧11駆の天霧を加えた19駆3隻が隊ごと編入。4月末天霧、9月敷波戦没。
壊滅 (1944年10月)
16戦隊は紆余曲折を経て志摩艦隊に組み込まれる。
青葉・鬼怒・浦波はレイテ島への輸送につくも青葉が損傷し、鬼怒が青葉を曳航しマニラに一度引き返す。鬼怒・浦波は再びレイテ島を目指すも、パナイ島付近で米軍機により戦没した。
関連
発動!渾作戦(ビアク島の戦い)・・・当隊より青葉・鬼怒・敷波・浦波が参加
捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)・・・E3輸送ゲージ作戦の史実艦(青葉・鬼怒・浦波)