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横井軍平の編集履歴

2022/02/13 19:21:36 版

編集者:うるま

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1965年に任天堂に入社。『ゲーム&ウオッチ』『ゲームボーイ』『バーチャルボーイ』等の開発に携わり、宮本茂と並んで任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった。

経歴

同志社大学工学部電子工学科卒業後、任天堂へ入社する。入社当初は設備機器の保守点検の仕事を任されることとなる。しかし仕事に飽きはじめ、暇つぶしで作ったおもちゃで遊んでいたところを社長山内溥に見つかる。処罰を受けると思いきや意外にも山内社長から「それを商品化しろ」と言われ『ウルトラハンド』として商品化。

ウルトラハンドは大人気商品となり、これを機に任天堂の玩具商品開発を担当することになる。横井のために経理担当に今西絋史をつけ、任天堂内で開発課が設置された。

横井が開発したもの

ゲーム&ウオッチ

山内が会食に向かう際に普段の運転手が体調不良だったため、他の社員で唯一左ハンドルの運転に慣れていた横井が運転を代行することとなったが、「いくら何でも私は運転手ではない」というプライドがあった横井は、口任せに「電卓型のゲーム機があれば売れると思うんですけど」と山内へアイデアを投げた。

そこから、ゲーム&ウオッチが開発されることとなり、1980年に発売された。国内だけでも1287万個という記録的な売上を達成し、任天堂がアーケード事業の失敗で抱えていた負債をあっさり帳消しにした。

ニンテンドーDSの原型ともいえる、マルチスクリーン型のゲーム&ウオッチは、山内が要望した、「ふたつ同時にゲームを遊べないか」という提案に応えるかたちで、発案したものである。

ゲームボーイ

1989年に発売された初代ゲームボーイ

ゲーム&ウオッチの成功後、次世代の携帯型ゲーム機として、ゲームボーイの開発にとりかかった。初期のプロトタイプでは液晶表示の不快さを指摘され、山内から"このままでは"との条件付きで発売中止措置を受ける。

後に描画処理の調整とSTN液晶の採用でこの問題は解決する。結果的に成功を納めたゲームボーイであるが、横井にとっては液晶問題を含め「ゲームボーイは自分の失敗作」だったと振り返る発言もある。

バーチャルボーイ

バーチャルボーイは史上初の完全3D映像ゲーム機であり、ジョージ・ルーカススティーブン・スピルバーグを唸らせ、一部で熱狂的な支持を集めた。だが発売当時はより高性能な次世代機の動向に注目が集まっており、売上不振に終わる。この失敗が原因で横井は責任を持って退職したと言われたが横井本人は否定している。

なお、横井が求めた3D映像ゲーム機は、横井の死没から約14年後にニンテンドー3DSとして再び日の目を見ることとなった。

ゲームボーイポケット

横井が任天堂社員として最後に開発したゲーム機。ゲームボーイを小型化しただけでなく液晶機能の向上などが図られた。カラーバリエーションも豊富である。「任天堂への恩返し」として開発したゲームボーイポケットは、『ポケットモンスター』のブームに応える形で大ヒットした。

携帯ゲーム機の小型化はゲームボーイミクロ、DSlite以前にこの頃から既に行われていたのである。

その後

1996年8月15日、「50歳を過ぎたら好きな事をする」と語っていた横井は、長年勤めていた任天堂を自主退職。

その後、より自分のやりたい商品開発を目指し、株式会社コトを設立。

ワンダースワンの開発にアドバイザーとして参加。

GUNPEY」というゲームソフトも監修している。

しかしながら独立から1年後の1997年10月4日、北陸自動車道の路上において追突事故の事故処理を行おうと車外に出た所を後続車に撥ねられ、現場から救急搬送されたものの、搬送先の小松市民病院にて外傷性ショックにより死去した。56歳であった。

横井の発想法の一つ。

枯れた技術とは十分に成熟しメリットやデメリットが明るみになったありふれた技術のこと。

水平思考とは既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出すこと。

ありふれた品でも角度を変えてみれば大きな革新を生み出すことが出来るという考え方。

誤解されがちだが、コストを優先し先端技術そのものを否定するための言葉ではない。

関連タグ

任天堂 枯れた技術の水平思考

ゲームボーイ バーチャルボーイ ゲームボーイポケット ワンダースワン

山内溥宮本茂…と横井軍平は任天堂を大企業に押し上げた代表的な功労者。

今西絋史 - 凄い人

荒川實 - 元NOA社長

伝説のスタフィー - 1995年に開発開始した作品。スタッフクレジットに横井軍平の名が記されている。

後北条氏 - 横井家は北条家の分家の家計と言われており、三つ鱗の家紋が彼の墓に刻まれている。

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