X68000
えっくすろくまんはっせん
概要
シャープのテレビ事業部が開発したパソコン。シャープは「パーソナルワークステーション」を称した。
「パソコンテレビ」X1の後継機。発売前年の1986年に発表され、その高性能で衝撃を与えた。CPUは当時のMacintoshより高性能な68000/10MHz。当時としては卓越したグラフィック性能が一番の売りで、メインRAMは1MB、VRAMは512KBの(当時としては)大容量であった。国産のホビー色の強いマシンとしては異例とも言える高級機(本体369000円+モニタ129800円)だったが、それでもその性能を考えると破格の安値であった。
同時代のアーケードゲームとパソコンの表現力の差は大きくアーケードからの移植は四苦八苦していたのだが、X68000はアーケードと同等かそれ以上の機能で、初代に同梱されていたSTG『グラディウス』(コナミ)のアーケード版の再現度は衝撃的なものであった。本体の斬新な「マンハッタンシェイプ」スタイルも通産省のグッドデザイン賞を受賞するなど評価が高かった。
またマウスで操作できるビジュアルシェル(のちにウインドウシステムであるSX-Windowに移行)を標準搭載していたのも当時としては新鮮であり、ビジネスマシンとしても充分高機能であった。しかしこの方面ではシャープの社内的事情(X68000を企画したのはテレビ事業部であり、ビジネス機器を製造する情報システム事業部が別に存在していた)から積極的な展開はなされなかった模様で、PC-9800の牙城を崩すには至らなかった。
苦難の歴史
シャープが発売時に打ち出した「5年間はハードの基本仕様を変えない」という方針が災いして、1990年代に入ると性能の陳腐化が進んだ。それでいて価格も高いままだったので、新規ユーザーもほとんど入ってこなくなった。他機種に移行するソフトハウスも相次ぎ、ユーザーは苦難の道を歩んだ。
転機は1989年、富士通が32ビットのi386搭載のFM-TOWNSを発売したこと。この時点でX68000はCPUをi386と同世代のMC68030に換装した高性能機(のちに発売されたX68030に相当)を出していればそれなりに戦えたであろうが、ようやく1991年に16MHzモードを追加したのみである。
1993年、最初で最後のアーキテクチャ刷新が行われ、MC68EC30を搭載したX68030シリーズに移行した。しかし、すでに市場の主力はi486/MC68040であり、次々世代の初代Pentium・PowerPCへの移行が見えている状態では、勝負にはならなかった。X68030のグラフィックスは初代X68000のままで高性能なCPUの足を引っ張っていたし、光ドライブも未搭載(サードパーティーからは外付けのCD-ROMドライブが出た)、FDDも5インチが主力と、あらゆる部分が時代に取り残されていた。しかもハードディスク80MBで定価48万8000円と、ホビー機としてはとびきり高価だったのである。しかも 従来機用のソフトのほとんどがまともに動かないなど互換性に大きな問題を抱え 「たしかに従来機より速いが高くて使いづらい中途半端な機種」であることは否めず大きな話題になることはなかった。
こうして秋葉原がWindows95フィーバーに沸く1995年には、マニア向けショップの片隅にひっそりと佇むだけの存在になっていた。大方のPCマニアにも「お前まだいたの!?」状態だったという。そして1997年ごろ、人知れずその歴史に幕を閉じた。
その後
市販のパッケージソフトが出なくなった後にも熱心なユーザーや専門誌「Oh!X」が残り、雑誌投稿、パソコン通信、即売会やソフトベンダーTAKERUなどを通じた活動は結構長く続いた。
この辺の事情は廉価ながら同じくホビー向け機種のMSXに近い。また両方のユーザーだった人も少なくないようだ。
2000年にはIOCS(BIOS)やOSの「Human68k」が公式に無償公開された。
市販ソフトの中にも無償公開されたものもあり、またオンラインのフリーソフトウェア、フリーゲームの数も多いため、ユーザーでなくても合法的にエミュレータ環境で遊べる貴重な環境になった。
現在でも中古で実機が出回っているが、シリーズ共通の問題として電解コンデンサの液漏れによるショートの多発(使用していた電解液が経時劣化に弱い4級塩だったことによる)がある。これが起こると電源ユニットや最悪本体基板の焼損につながる。市場流通している中古品も同原因による不動品やなんらかの不調を抱えているものが大半であり、購入時は注意のこと(ただし修理方法は確立しているため修理そのものは可能。修理を請け負う業者や個人も存在する)。