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概要と変遷編集

ワークステーションは、組版、科学技術計算、CADグラフィックデザイン、事務処理などに特化した業務用の高性能なコンピューターである。


パーソナルコンピュータとの差別化は時代によって変遷しているが、時代が下ると共にその差は薄れている。


NEC PC-8001発売前後編集

小さいものでビルのワンフロアを占拠するメインフレームに対して、小規模なオフィスにも置ける汎用コンピュータとしてラインアップされた。OSなどもメインフレームと共用のものが多かった。日本ではミニコンという独自の和製英語で呼ばれた。ミニといっても小さいものでちょっとした本棚ぐらいのサイズである。

この頃、パソコンといえば「高いオモチャ」だった。メインフレームの大御所IBMは見向きさえしておらず、ホビー用のコンピュータ(今で言うゲーム機のような存在)だった。


メインフレーム『ACOS』でIBMに比肩するOA機器メーカーとなったNECが、世界に先駆けて“実用汎用機としてのパーソナルコンピュータ”PC-8001を発売。以降、ワークステーションはパソコンに追われる時代が始まった。


急減に差の詰まりだした1990年代後半編集

切っ掛けは1995年に発売されたPowerMacintosh6100/60だった。


PowerMacintoshシリーズは、それまでのMotorolaMC68000系CPUに代えて、RISC・チップであるPowerPCを採用した。このCPUは元々、IBMのメインフレーム用プロセッサのテクノロジーをパソコン用CPUに投入したものである。それでも当初AppleはPowerMacintoshシリーズを上位機とし、ワークステーションと従来のMacの間に位置付けた。ところが、この6100シリーズは性能比からすればべらぼうに安く、飛ぶように売れてしまった。市場の関心はたちまち68k Macから遠ざかり、AppleはPPCと68kのハイ・ロー・ミックス戦術を放棄せざるを得なくなり、まもなく廉価機であるPaformaもPowerPC機になった。


一方、こうなるとCISC(最低限の命令セットのみ持つRISCに対して、主にパソコン用に冗長的な命令セットを持つ形態のCPU)に固執していたIntel陣営も黙っていられない。i486系の後継となるPentiumではRISCチップの技術であったパイプライン処理の概念が取り入れられ、更にその時代のP6系(Pentium Pro~PentiumIIIとその系統のCeleron)では、ほとんど設計技法はRISCのものになっていた。事実上RISCとCISCの垣根はなし崩しになくなっていった。


さあ困ったのがワークステーション業界である。この頃ワークステーションもダウンサイジングとUNIXの系譜のOS(BSDLinux)により、以前よりは遥かに手軽に扱える機体とし、グラフィックススタジオや動画効果に活躍していた。だが、パソコンの急激な高性能化はこの分野を脅かしつつあった。ただ、パソコンのOSがまだ稚拙であったこと、マルチプロセシング技術がパソコンには普及していなかった(Intel機、Mac双方とも当時使われていたシステムソフトウェアは基本的にシングルCPUにしか対応しておらず、マルチCPUには特定のアプリの特定の処理を高速化する効果しかなかった)ことから、体面を保つことになった。


だが、OSについては、1999年、Microsoftが、Windows2000を発売。マルチCPUに初めて本格的に対応し、ついに牙城が崩れ始めた。


IntelとAMDの仁義なき抗争に埋没するワークステーション編集

この頃ワークステーションにはあるジレンマがあった。それは64bit化の遅れであった。かつてパソコンが8bitだった時代に16bit、同様に16bit時代には32bitと命令とデータ処理速度で優位に立っていたワークステーションだが、64bit・CPUはIntelがそれまでのx86からの脱却を目指したIA-64の開発が遅れに遅れていた。

x86は80286プロテクトモード問題というメモリ取り扱いに関する固有の問題があった。当時ライバルだったMotorolaが先に32bit化を果たしたため、急ぎ開発された80386系のx86-32で解決したことになったが、その内容は応急処置に近かった。Intelにとってこの問題は長年のジレンマだった。


ところが、ここで突如AMDがプッツン行く


AMDは素直にx86-32を64bitに拡張したx86-64命令セットを開発、K8(AMD独自第8世代アーキテクチャ)であるOpteronに搭載した。


Opteronはワークステーション用のマルチプロセシング用プロセッサだった。普通に行けばここでワークステーションはパソコンを再度突き放すことになるはずだった


しかし、ここで流れが怪しくなる。

当時、パソコン用CPUに蔓延していたのが所謂ギガヘルツ神話である。これは、CPUのクロック周波数こそが性能を決するという考え方だった。元々の発端を作ったのはAMDで、Pentium IIIに先駆けて1GHz動作のAthlonを発売したことにより最高潮に達した。

ところがその結果、IntelのNetBurst(Pentium4とその系列のCeleron)、AMDのK7(初代AthlonシリーズとDuron)では、大消費電力・高発熱という問題が発生した。これは筐体容量の限られるパソコンにとって頭の痛い問題だった。


そこでAMDは、自らギガヘルツ神話の幕引きにかかった。K8は元々、K7の反省から低クロック・高IPC(IPC≒1クロックあたりの命令実行数)・低消費電力・低発熱という技術が盛り込まれていた。


パソコン用CPUにもK8が投入されることが決定したのだ。2005年初頭、Opteronからマルチプロセシングの要素を廃したAthlon64が発売される。そのセンセーショナルさは主に自作PC業界を介してたちまちに広がった。


一方、OS屋も一向に進まないIA-64に見切りをつけ始めた。かつてWintelと揶揄され、Intelと蜜月の関係にあったMicrosoftは、x86-64用OSの開発立ち上げとIA-64関係の打ち切りをIntelとAMDに通告した。


ギガヘルツ神話の終焉後、パソコン用CPUは低クロック・高IPC競争になった。Intelも方針転換し、Coreアーキテクチャでは低クロック・高IPCを目指した。もっとも、Intelには主力がNetBarstだった時期にもP6の進化系であるPentium Mの技術があったのですぐに追いついた。


この結果、パソコン用CPUはついにシングルプロセシングの時代を脱却し、1ダイマルチコアの時代に突入した。その影でワークステーションというジャンルは埋没していった。使われている技術がパソコンの方が上なぐらいなのである。


現在、ワークステーションというジャンルは存在するが、信頼性の高い部品を選りすぐったハードウェアと、業務用のソフトウェアやサポートをセットにして販売されているもので、ハード的には「高いパソコン」でしかない。


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