概要
言論の自由(げんろんのじゆう、英語:Freedom of speech)は、国民の意見・表現を政府から干渉を受ける事無く自由に伝え、求める事ができる権利。1948年12月に国際連合総会にて採択された世界人権宣言第19条『市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約・自由権規約とも)』にも規定された国際人権法で保護されている権利であるが、他者の権利・国家など統治機関の安全・諸外国との関係・公衆の健康と道徳の保護などの各種目的の為、一定期間に渡って制限される場合が存在し、当サイトなどでも議論に挙げられている。
日本国の状況
日本国憲法第21条第1項において規定されている国民の権利である「表現の自由」の根幹をなすと考えられている。ただし日本国内においては、日本国民の他にも基本的に外国人にも同等に保証されていると見なされる。
注意点
よく勘違いされるが、言論の自由というのは決して「ただ言いたいことを好き勝手に言って良い」というものではなく、この権利はあくまで常識や倫理などの公的秩序あるいは、それを主張する場で設けられた一定のルールに基づいてのものがほとんどである。
この自由の裏返しとして上述のように「言論に対する責任」が課される可能性もあり、そこで発言の内容が虚偽や印象操作を含むものであったり、または発言自体が法律など何らかの規則に反しているようなケースの場合、この法則以前の問題で周りからの反発を食らったり、最悪何らかのお咎めを受けてしまうこともありうる。極端な話として、脅迫・中傷など犯罪につながりかねないような言動の場合だと、まずこの理屈は通用しないと考えていい。
批判に対する言論の自由
また相手に対する批判あるいは正当な糾弾だと考えての主張であったとしても、真っ当な論理に則ったものでなければならない。さらに言うと自分だけ好き勝手に発言する権利を主張しながら相手側の反論を「言論弾圧だ!」などと叫んで封殺しようというのはもはや本末転倒としか言い様がなく、本格的に相手と議論したいのならば自分が何かを言う自由があると同時に相手側にもそれに反論する自由があるということを忘れてはならず、何よりも相互の自由を尊重し合うという姿勢を持つことが重要である。
独り言と主張の違い
他にも「自分が言いたいことを言うだけ」ならその個人の勝手かも知れないが、ただの独り言か分かりやすい冗談でも無い限り、他者あるいは不特定多数の第三者に向けての自身の主張を含めた意見については、彼らへの解りやすさやと受け入れやすさも考えるべきである。そして発言にはそれなりに気を使う必要があり、また場合によってはその発言に相応の責任を負うことになるため、迂闊なことを言って後で自分の首を締めることにならないよう、言葉選び・主張に基づく理論の構築にも慎重になるべきだろう。