南北朝時代(日本)
にほんのなんぼくちょう
日本の中世に起こった分裂時代。
天皇家が南朝と北朝に分かれて争った時代のこと。
概要
世界史的な区分で言うと、日本の中世のど真ん中に当たる時代。
1336年に後醍醐天皇が吉野に遷り朝廷が京都(北朝)と吉野(南朝)に分裂してから1392年に南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する形で両朝が合一するまで。
室町時代の初期に含まれる場合がある。また、始期は後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕の企てが表面化した元弘の変(1331年)や鎌倉幕府の滅亡と建武の新政の開始(1333年)とすることもある。戦前は南朝を正統とする立場から「吉野朝時代」と称された。南朝と北朝の動向はそれぞれの記事を参照の事。政治史は室町幕府も参照。経済社会全体の様子は室町時代を参照して欲しい。
この時代の特徴
・一つの陣営に一貫して所属した人物が少ない。→話の筋書きを理解しにくい。
・天皇や皇族が重要人物として大勢絡む。→作内での慎重な扱いが要求される。特にウォーシミュレーションで、戦死したり捕虜を処刑できたりする場合。
・軍隊が特定の地域を拠点とした例が少なく、長距離を移動して戦う事が多い。→戦国時代(特に後期)のような「陣取りゲーム」形式にそぐわない。
・武将直属の所領や兵力が少なく、優勢になると味方の数が急激に膨れ上がり、劣勢になると簡単に味方がいなくなる。→内政で領土を豊かにする「育成ゲーム」要素に乏しい。
という理由によるのか、この時代をモチーフにした作品は少ない。
この時代に活躍した人物
歴史年表
年代 | 主な出来事 | 事件の内容 |
---|---|---|
1331年~1333年 | 元弘の乱 | 後醍醐天皇によって起こされた、二回目の鎌倉幕府の倒幕運動。この乱の終結とともに物語は幕を開ける。実は、この乱自体は後醍醐天皇が1324年に起こした一回目の倒幕計画である「正中の変」同様に失敗していたが、終盤に突如として足利尊氏が後醍醐天皇に寝返ったことで形勢が逆転し、僅かな間で鎌倉幕府が打倒される事態になった。 |
1333年~1335年 | 建武の新政 | 鎌倉幕府に代わって後醍醐天皇が政権を握った統治のこと。よく教科書で習うアレ。南北朝時代は知らなくても、この単語を知っている人は多いはず。 |
1335年 | 中先代の乱 | 北条時行が起こした戦乱。しかし二十日で尊氏に鎮圧される。ちなみに中先代(なかせんだい)とは、時行の別名のようなものであり、鎌倉幕府と足利尊氏の中間の存在という意味。 |
1336年 | 建武の乱 | およそ一年間にかけて行われた戦乱。中先代の乱の後に足利尊氏と後醍醐天皇は対立をはじめ、尊氏は後醍醐天皇から離反し、北朝を擁立する。 |
1337年 | 杉本城の戦い | 南北朝時代を代表する名将である北畠顕家が北条時行と共に行った二回目の鎌倉奪還。しかし、顕家は高師直の軍に敗北し、戦死する。 |
1338年~1343年 | 常陸合戦 | 勢力の衰えた南朝が常陸国で行った戦いの総称。北朝方は高師冬が中心となり、南朝方は北畠親房が中心となった。この間に、後醍醐天皇と南朝の総大将である新田義貞が死亡する。 |
1348年 | 吉野陥落 | 四條畷の戦いで楠木正成の息子である正行・正時兄弟が高師直に敗北したことで、南朝の本拠地である吉野が陥落する。 |
1350年~1352年 | 観応の擾乱 | 足利直義と高師直が対立したことで起こった、室町幕府の内紛。この乱に敗れた高兄弟は暗殺される。 |
1353年 | 武蔵野合戦 | 北条時行による三回目にして最後の鎌倉奪還。 |