概要
フランスのプジョーが生産していた自動車。Aセグメントに分類される、ハッチバックタイプの大衆車である。
駆動方式はFF、ボディタイプは3ドア、5ドア、カブリオレが存在した。
プジョー104の後継車種として1983年にデビュー。1993年にプジョー306が登場するとラインアップを縮小したが、1998年に後継のプジョー206にバトンタッチされるまでの15年間に渡り生産販売されたロングセラーであった。
日本では、スズキのディーラーを通じて販売されていた時期がある。
205ターボ16
205の存在を今日まで有名にしているのが、WRCで活躍した205ターボ16の存在である。
これは205の名前とデザインを借りて作られたグループB規定のラリーカーであり、構造は通常の205とは全く異なる。
フレームはモノコックとパイプフレームを複合した専用設計とし、それ以外の外装は樹脂で造形した。
駆動方式は4WDで、ミッドシップに搭載された1775ccのターボエンジンは300馬力オーバー、最終的には540馬力のハイパワーを発揮した。
ミッドシップエンジンにした理由は、当時WRCを席巻していた4WDのパイオニアであるアウディ・クワトロが、フロントエンジン故に回頭性が悪いという弱点を見抜いていたためである。
このミッドシップ4WDという構成はライバルにも波及し、その後のグループBラリーカーのスタンダードになったことからも、開発陣の先見性が窺える。
ただし、205の小柄な車体を基準としたため空間効率が悪く、機器の配置には苦労したとの事。
WRCでのデビューは1984年。
初戦で2位を獲得し、その後も優勝を繰り返して1985年と1986年のドライバーズタイトル・メーカータイトル両方を獲得。
名実ともに「最強のグループBマシン」と呼べる記録を残した。
グループB廃止後は、1987年から1988年までパリダカールラリーに転戦。
こちらでも2年連続優勝という圧倒的な成績を残し、「砂漠のライオン」の異名を取った。
(プジョーのシンボルマークがライオンであることに由来)
また、WRCを退役した一台のマシンが日本に輸入され、プライベーターにより全日本ダートトライアル選手権に出場していた為、一時期は日本でも走る姿を見ることが出来た。
しかし、当時の同選手権はプライベーターでも変態的な強豪ぞろい(ツインエンジンのカルタス、222Dさながらの4WD化されたMR2など)だった為、WRCとは裏腹に苦戦を強いられ、後に信頼性向上のためにカルタスのエンジンに換装して応戦した。
参戦終了後の行方は不明。
グループBのホモロゲーション要件を満たすために200台の市販車も作られ、販売された。