概要
『科挙』とは科目による選挙のことで、隋の時代に始まり清朝末期まで行われた伝統的な官吏採用試験。
世界一の倍率を誇り、受かれば強大な権力と莫大な富が約束されていた。
そのため、都市部や農村部から多くの受験生が高級官吏を目指して受験していた。
中には一生を費やして受験していた人もいたらしく、不合格者の中には歴代皇朝の民衆反乱の首謀者として歴史に名を残した輩もいたらしい(例.黄巣の乱の黄巣、太平天国の乱の洪秀全等)。
内容
礼部による官吏資格試験
地方から選ばれた受験生と首都・長安の官僚の子弟が学ぶ学校から選ばれた受験生が受ける
暗記能力、文章能力、時事能力を試す。
吏部による官吏登用試験
礼部の資格試験の合格者が対象。
官吏としてふさわしい容姿や話し方や判断力、文章力を試す。
皇帝自ら行う殿試
宋の時代から導入され、皇帝臨座の下で行う。基本的に不合格者は出さずに合格者の順位を決めるものであった。
こうした試験を合格できた者が、晴れて三省六部などの中央官庁の官吏として採用された。
影響
科挙はその熾烈な受験戦争による多くの敗者も生み出したが、彼らは在野などで生活のために後進に教育を施したり、大衆娯楽の作成などにもかかわった。
三国志演義も、それまで庶民の間で親しまれていた荒唐無稽なファンタジーであったものから、史実に準拠しながらも娯楽性豊かな完成度の高い作品へと発展していくことになる。
朝鮮、ベトナム、日本などの漢字文化圏のほか、フランスのバカロレア(高校卒業資格試験)などの人材選抜システムに影響を与えた。
日本でも科挙に類似した制度を導入したものの、蔭位の制など家柄を重視した官吏制度のため、下級貴族出身者のうちの優秀者が登用される程度のもので次第に試験自体が形骸化していった。
朝鮮半島では高麗時代に科挙が導入される。
高麗も日本と同様貴族の家柄が重視される社会だったので、科挙を通じて選抜された官吏は少数派だった。
朝鮮王朝ではすべての官吏を科挙を経て選抜しようとしたが、中国ほど厳格で公正なものではなく、代理受験などの不正行為も非常に多く。朝鮮王朝末期になると賄賂の金額で合格が決まるようになっていたと言われる。
フランスでは現在も哲学の記述試験が重視されるが、科挙の影響を受けた名残と言える。
科挙のような「ペーパーテストの点数のみ」で合否を判断するというのは、親がどんな地位や職業でも、実家がどれだけ貧乏でも、受験者本人が合格最低点さえ超えれば入学できるという極めて平等な制度として、現代までも主に東アジアで浸透している。
カンニング騒動
受かれば一族は強大な権力と莫大な富が約束されるが故にカンニングや替え玉受験といった不正行為が行われたという騒動もあった。
カンニングの手口は、手のひらに収まるサイズの「豆本」を隠し持っていたり、お弁当の中にカンニングペーパーを隠してあったり、体または下着に書いてあったりと様々であった。
不正行為が発覚した場合は、不正を行った者は本人のみならず一族郎党全員処刑され、不正行為を摘発した兵士には銀の棒が三本もらえるといったボーナスもあったという。
現代中国の大学受験のカンニングの手口は巧妙なものとなっているのは、科挙のカンニング騒動の影響なのかもしれない。
廃止
科挙は清朝末期に廃止された。中国とは異なる歴史を経て成長したヨーロッパの大国に敗れただけでなく、それまで絶対的な優位を保ってきたと認識していた東アジア圏においてもその中華秩序から決別した日本にも敗北し、古典の暗記が重視される科挙によって登用された官僚達がまるで無力であることが露呈してしまったためである。
次第に勉学と愛国に燃える若者達は科挙の勉強よりも欧米や日本への留学を志すようになり、政府もこれを後押しする形で彼らを送り出すようになり、1300年以上続いた科挙は終わりを告げた。
関連動画
科挙のカンニングの一例とそれで死刑になった男の話
関連項目
聊斎志異…科挙の受験生が主役になることが多い。
敦煌…井上靖の小説とそれを原作にした映画は北宋時代が舞台で、物語は主人公である趙行徳が、科挙の最終試験殿試で不合格となる場面から始まる。
月に咲く花の如く…清朝末期の物語であるため、科挙がかなり否定的に描かれている。
外部リンク
科挙 非常に詳しく載っているのでおすすめ。