人物
おもにアニメや特撮作品のキャラクターやメカなどのデザインを手掛けている。
母親が東映動画で編集を務めていたこともあり、幼少期からアニメーションの現場に親しみ、アニメーターの森康二や大塚康生らとも面識があった。
1981年に出渕裕の代理としてテレビアニメ『百獣王ゴライオン』に参加。同番組の実製作を担当していた東京動画の社長である西崎義展が、かつて原田の叔父のジャズバンドのマネージャーだった縁があり、デザイナー志望であると原田が伝えたところ、出渕が降板したタイミングで採用されたという。
翌年には出渕とともに『機甲艦隊ダイラガーXV』に参加するも腕を痛めてしまい、そのまた翌年の『ダイナマン』『アルベガス』に参加した後、一時的にデザイナー業から離れる。
その後、リハビリを経て1995年の『超力戦隊オーレンジャー』と『重甲ビーファイター』で特撮関係のデザイナーとして復帰した。