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カオナシの編集履歴2023/08/24 21:42:24 版
編集内容:記事の追記・修正

CV:中村彰男(※下2台詞は青蛙役の我修院達也による)

演:菅原小春/辻本和彦

「あ...あ....」

「千はどこだ!千を出せ!」

「千~っ。小娘が何を食わしたぁ!!」

欲しがれ

概要

 黒いのような体にお面をつけたような姿をしている。手から金などの人が欲しがるものを出す力を持つが、それはただの土くれを変えたものに過ぎず、それを欲した瞬間に相手を飲み込んでしまう。また「己」を持たず、呑み込んだ他人の声を借りなければ会話ができない(普段は「あ・・・」や「え・・・」と言ったか細い声を搾り出すだけで、表情も無い。ただし後述の様に相手の言葉にある程度反応はするため、簡単なボディーランゲージなら可能な模様)。

後、僅かだがお面にも感情が反映されてたりしている。

 橋の欄干でハクの術で気配を消して見えないはずの千尋を見かけた時から執拗に彼女を求めるようになり、オクサレ様の一件の前に、渡り廊下の外で佇んでいたが千尋に招き入れられた(この時湯婆婆は「雨に紛れてろくでもないものが紛れ込んだかな?」と感づいていた)際はもっと喜んでもらいたい一心で番台蛙から薬湯の札を盗み、これが結果的に千尋がオクサレ様の騒動を収める一助となった。

 ところが、オクサレ様の身体からこぼれ出た砂金に興奮する従業員達を目の当たりにしたことで、カオナシは「金を渡せば皆が喜んで自分を受け入れてくれる」と学習してしまう。土くれでニセの金を大量生産できる力を使い、それを餌に夜間に大湯に忍び込んだ青蛙をおびき寄せ、ニセの金に手をつけた瞬間捕まえ呑み込み、青蛙声で喋るようになる(手足も蛙を思わせるものに変化した)。

 その後は客として堂々と油屋を訪問。兄役から大量に金を出せる「お大尽様」と呼ばれ、もてなされてはたらふく食べて肥大化していく。再び出会った千尋にも砂金を差し出すカオナシであったが、他の従業員達と違い、千尋はそれを突っぱねてしまう。愕然としたところにやってきた兄役の愛想笑いに逆上し、近くにいた従業員の湯女と共に飲み込むという暴挙に出て暴れ始める。

 ハクのために銭婆の元へ向かう決意を固めて戻ってきた千尋と、再度の対面を果たすカオナシであったが、その姿は更に醜悪なまでに肥大化し果てていた。欲しい物ならすべて与えると千尋に言うも、変わらず彼女に拒絶された上、「私が欲しいものはあなたには絶対出せない」とまで言い渡されるカオナシ。

 「寂しい…寂しい…」と苦悶するカオナシであったが、残った最後の苦団子を食べさせられると強烈な味に今まで食べたものを嘔吐し、怒りで暴走(この時、湯婆婆の魔法攻撃すら弾き、逆に吐瀉物の泥で埋めてしまった)し、飲み込んだ人々や、食べた物が変化したと思われる泥を千尋を追いかけている途中に全て吐き出し、元の姿に戻った。

 元に戻った後はまた大人しい性格に戻り、千尋について銭婆の所に行き、そのまま引き取られ銭婆の所に留まることになる。

余談

 実はハクが現れる場面と前後して登場している。

 千尋が「ハクって人は二人いるの?」とリンに尋ねる場面があり、ハクの正体はカオナシなのかと思わせたこともあったが、終盤で一緒に映る場面は無いが、竜のハクと交互に登場している。

 元々は重要キャラではなく、単なる「橋の上で単にハクの術で気配を消していた千尋が見えており、通り過ぎるだけの何か」(つまりモブ)程度であったが、宮崎駿監督が物語を進めるに当たって、後からキーパーソンになるキャラに起用した経緯を持つ。

 顔を持たないというキャラクター性から、海外版においても名称の変わらないキャラクター達の中で唯一彼のみが各国語に翻訳された名前が使われている。

(例:英語圏なら「No Face(ノーフェイス)」など)

 フィルム・コミック『千と千尋の神隠し3』には「仮面男」と書かれ、後にモデルが米林宏昌であったことが明かされている。が、後に本人が後付けであると述べた。

正体

 宮崎監督曰く「カオナシは誰の心にも存在する」という。カオナシは現実世界でも油屋の世界でも居場所のない不安定な存在で、(千尋に故郷や親について聞かれた時に困惑した、また、銭婆にとどまるよう言われた=居場所を提供されたとき非常に喜んだことから)出処は人間の心なのだろう。

 そのキャラクター性を「主体性が無く、居場所も無く、拾い物の他人の言葉でしか喋れず、金品を貢ぐ以外の他人(特に異性)とのコミュニケーションがわからず、拒絶されたと思いこむとキレて暴れだす」とざっくり要約すれば、程度の差こそあれど大なり小なり身に覚えのある人はけっこう多いのではなかろうか。

 

 千尋に「あなたは来た所へ帰ったほうがいいよ。お家はどこなの?お父さんやお母さんいるんでしょう?」と問われたカオナシが、何も答えられずに「嫌だ、寂しい」とだけ繰り返して苦悶していたのは、彼には帰る場所も自分を待ってる人も始めからどこにも存在しなかったからである。

 千尋を求め続け、あまつさえ食おうとすらしていたのも、初めて自分の存在を認めて優しくしてくれた少女に対する、愛されたいという欲望の、誤った(しかしながら「一つになりたい」という原初的な)発露でもあった。

 それでも、千尋から(両親を元に戻して現実世界に帰還する唯一の手段かもしれなかった)最後の苦団子を与えてもらうという「献身」を受けたことで、醜く肥大化した彼は元に戻り、さらに銭婆に「お前はここにいな、私の手助けをしておくれ」と言われた(=存在意義と居場所を与えられた)ことで、救済されることとなった。

千尋が来るまでは一般的に馬鹿にされていた人物がこれほどの大問題を起こすほどの力をつけたというのもなんらかの因果を感じる。

 

 また、カオナシは欲の権化、とくに金銭欲であるという意見もある。

 金銭欲に取り憑かれた湯婆婆は「ヤバい」という事を事前に察知するが侵入を防げず、大損をすることになる。同じく、従業員も上役に至るまで、湯婆婆に通すこともせずに上客としてもてなしてしまう。

 しかし、金銭欲に惑わされず、(河の神様やハク、カオナシや坊への接し方などから暗示されている)物事の本質を捉えられる千尋や銭婆(絵コンテには、財力にも溢れる優れた魔女であると書かれている)はカオナシに取り込まれる事はなかった。一方で、人間がカオナシに取り込まれると、元の世界に戻れても金の亡者に成り果ててしまうのではないだろうか?

 そして、財力を持ちながらも金銭欲に縛られない銭婆の下こそ、カオナシが安住できる環境であると仮定できる。金銭欲の権現だったカオナシは、個性を失い自分の感情を表現する事もままならなかったが、千尋達と出会い、感情を取り戻し、最終的には彼自身が憑き物が落ちた様に解放されている。

 また、「世界のルールに従わざるを得ない」という本作の設定の一つからして、カオナシは「ハクや従業員を魔法で奴隷にしようとしていた(絵コンテより)」&「財を他者の為に使う事もせず、神々の疲れを癒す仕事とはいえ金の亡者に成り果て他者を欲のために苦しめていた」、そして、神であるハクを奴隷として苦しめ悪事を働かせたり、息子の事を見ているようで見えていなかった湯婆婆に降りかかった「天罰」や「神罰」なのでは?などの声もある。

 これらの悪しき結果に対し「神々の為」という罰当たりな言い訳を考えさせてしまいかねない意味でも、湯婆婆を踏み留まらせるための神罰および神々からの贈り物だとも考えられる。

 同時に、当初は落ち込んでやる気をなくしていて、そして同じ人間の可能性がある千尋だからこそ欲に駆られたり焦ったりせず、カオナシを最初から受け入れ、無下にしなかった千尋は、金ではなく本当に欲しかった物である、家族とハク(つまりハクの名前)と自分の自由を手にする事ができた。

 河の神様の苦団子やおしら様がエレベーターで隠してくれた事、千尋が最初に出会ったり傷付いたハク龍の姿を見た従業員がリンだった事、カオナシの来訪、ハクを操っていた湯婆婆の使い魔を千尋が踏み潰した事、などあらゆる事が千尋やハク等の心正しい者達への救いだった、または「成長する機会や改心する機会があればやり直せる者達」へのチャンスだったとも取れる。

 それは同時に、千尋一家の来訪も、神々の為に働くが魔法で縛られてきた油屋の面々や、自身を欲とエゴとコンプレックスで縛っていて、息子の本当の姿すら見えていなかった湯婆婆への神々からの贈り物だったのかもしれない。事実、終盤では湯婆婆に意見をしたりブーイングする、千尋を応援するなど、従業員達にも多少の変化が見られていた(それ以前からも、河の神様の砂金の没収に対して不満をもらすなどはあったが)。

 そうすると、一見天罰にも思える損をしている湯婆婆も、息子の成長、本当の息子と向き合う機会を与えられた、従業員との心の壁の消失と其による将来的な仕事の効率化、等々、やはり救われている事になり、宮崎監督の「本当の意味での悪人はいない」、つまり「やり直せる者へのチャンスは与えられる」といる事にも繋がる。

彼の言葉の意味について

 実は彼の言葉にはある程度の法則がある。

 つまり、言葉だけでもある程度カオナシが何を考えているのかある程度読み取ることが出来る。

 この時、仮面の表情も変わっている。

  • あ・・・

 物をあげるときに使うことが多い。基本的に物を差し出しながら発する。

 仮面の表情はどことなく笑顔。

  • え・・・

 断られるなどしてショックを受けているときに使うことが多い。文字通り「え・・・」という意味である。

 仮面の表情はどことなく落ち込んでいる。

その他

  • 演じた中村は当時、日本テレビ系列『ズームイン!!SUPER』のインタビューに答えており、「うめき声しかセリフがなく、演じ分けるのに苦労した」と語った。ちなみにCM前はモザイク代わりにカオナシの仮面で顔を隠されていたため、見様によっては「流暢にしゃべるカオナシ」というかなりシュールな珍場面となった。
  • 主要人物になるに当たり、初期のイメージは星の模様が付いたマントや体などがあしらわれ、髪も緑色で痩せたカオナシはややファンタジックなヒーロー調となっている。
  • 宮崎駿が作詞したカオナシの歌がある。歌詞は「さみしい」、「たべちゃいたいの」など、カオナシの欲っしても満たされない孤独な心を表現した少々おぞましいものとなっている。
  • 諸星大二郎の漫画『不安の立像』に仮面のないカオナシのような"影"が登場する。
  • アニメ『ゲゲゲの鬼太郎第6期に、名無しという不気味な仮面を着けて本作のカオナシと似た特徴も有する怨念化身のような怪人が登場する。

pixivでは

 pixivにも多くのイラストが投稿されている。そのなかには、擬人化などカオナシをイケメンに書いたイラストがあり、人気を集めている。

関連タグ

千と千尋の神隠し 顔無し ひとでなし

デイダラボッチ…身体の構造が似ており、暴れると危険な点が共通している。シシ神は獣神であり、カオナシは人間のような存在であるが。

限界オタク…『千と千尋の神隠し』再放送時、「カオナシって俺らじゃね?」とのコメントが散見された(※現代人に例えると、さながら推しスパチャなどを貢ぐオタクに見えるということだろう)。

カオナシの編集履歴2023/08/24 21:42:24 版
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