659年~720年9月13日(斉明天皇5年~養老4年8月3日)
父・鎌足が藤原姓を賜ったのは死の直前で生前には使用していないこと、鎌足の子で藤原姓を次いだのは不比等のみであったことから、彼の方こそが事実上の藤原氏の始祖と解釈することも出来る。
概要
藤原氏の始祖、藤原鎌足の次男。天智天皇の「御落胤」という説があり、むしろかつては広くそのように信じられていた。
藤原四兄弟と呼ばれる息子ら(藤原武智麻呂 藤原房前 藤原宇合 藤原麻呂、それぞれ南家、北家、式家、京家を開く)と共に藤原氏隆盛の基礎を築き、最初の黄金時代を作り上げた。
娘たちを皇室に嫁がせ外戚として権力を振るう手法を用い、中でも娘の1人・光明子は初の天皇家以外出身の皇后となった。
この手法は後に摂関政治として確立され、現代に至るまでの藤原氏繁栄のもととなった。
奈良に興福寺を創設、大宝律令や養老律令の編纂作業に携わるなど精力的に活動するも、720年に病死。死後に贈正一位太政大臣が贈られた。
また「古事記」の編纂者である稗田阿礼と同一人物であるという説がある。
創作において
竹取物語(いわゆる「かぐや姫」)
竹取物語に不比等自身が直接登場するわけではないが、かぐや姫に求婚し「蓬莱の玉の枝」を要求された車持皇子のモデルが彼であるとする説がある。
かぐや姫に求婚した5人の貴公子のうちの3人(阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂)までは実在の人物であり、残り2人も実在の人物がモデルであると考えられる。ここで2人のうち車持皇子は不比等の母は車持氏出身であり、「皇子」も平安当時彼が天皇の御落胤と広く信じられていたことが不比等に合致しており、これがモデル説の根拠となっている。ちなみにもう1人の求婚者である石作皇子は宣化天皇の玄孫である多治比嶋がモデルの候補としてあげられている。
この説を採ると、車持皇子がかぐや姫から東方海上にあるという「蓬莱の玉の枝」を取ってくるように言われるも、渡航すらせず偽物を作らせて姫を騙そうとするという5人の貴公子の中で最も卑怯な人物として描かれ、最終的にそれがばれてひどく恥をかかされるという竹取物語自体が、朝廷内で権力を拡大する藤原氏を揶揄する目的で書かれた可能性が指摘されている。
東方Project
同人サークル「上海アリス幻樂団」によるゲーム「東方Project」ではしばしば歴史や文学などからモチーフがとられているが、その中で登場人物藤原妹紅、稗田阿求が不比等と関連する。
藤原妹紅
妹紅の父は、かぐや姫本人である蓬莱山輝夜に「蓬莱の玉の枝」を渡したもののそれを偽物と言い放たれ恥をかかさた(作中での枝の真贋は不明と見られる)。そのため妹紅はこのことを恨んで「蓬莱の薬」をのみ不死の身体となって、同じく不死の輝夜と永遠に続く死闘を繰り返している。
竹取物語の項で述べたように、彼が蓬莱の玉の枝をかぐや姫に差し出した車持皇子のモデルと考えられること、そして妹紅の姓が藤原であることから原作には明記されていないものの、二次創作においてはしばしば彼女は不比等の娘とされる。
なお、彼女はその名の通り妹で上に姉たちがいるとされるが、史実においても不比等には複数の娘がいたためこれも合致する。
稗田阿求
稗田阿求は稗田阿礼の9回目の転生とされるが、先に述べた様に彼と不比等は同一人物とする説があるため、二次創作において時に彼女の前世は不比等であるとされることがある。
先に述べた妹紅のエピソードと合わせてのカップリングや、歴史家(=彼女の同業者)である上白沢慧音とのからみも見られる。