ローマ国家初代『第一人者』
ラテン語ではなく英語の言葉である。たぶん未熟ながらカエサルの後任での執政者をうけたことと、義父カエサルを殺してくれたアントニウス達と絶対に許さぬ旨を元老議員に説明しているのだろう、
この時にすでに執政と同時に『インペラートル全軍司令権』を得ていた彼に、武力的にローマでは叶うものは存在しなかった、(アントニウス以外は)19歳の時点で『ローマ皇帝』になっている。
役職 | 古代ローマの政治家。執政職。護民職。インペラートル。最高司祭 |
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本名 | ガイウス・オクタウィアヌス |
変名 | ユリウス・カエサル(3世) |
皇帝名 | インペラ―トル・チェザル・デェフィ・フィリクス・アウグストゥス |
ローマ字 | IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS |
世没 | 紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日 |
統治 | 紀元前27年1月16日 - 紀元14年8月19日 |
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
PONTIFX MAXIMVS
CONSVLⅩⅢ
TRIBVNICIAE POTESTATIS ⅩⅩⅩⅦ
IMPERATOR ⅩⅩⅠ
PATER PATRIAE
国父,執政13回,護民職権37回,将軍万歳21回,・最高司祭
概要
『ローマ軍最高司令権限保持者』初代19歳で執政に就任以来76歳で死ぬまで一貫して、全軍を指導し・ローマ政治を導く
紀元前58年、14歳の時オクターの父が死に、母方のカエサル家のもらい子となる。
紀元前43年、16歳の時虚弱ながら無理やり古代オリンピックに出場する。
紀元前46年、17歳の時にカエサルの部下の隊長として従軍、負けまくるも生き延びた指揮力をカエサルに見込まれカエサルの息子となる。
紀元前47年、18歳の時にカエサル暗殺の知らせの報告を受ける、議席うめの元老議員に選ばれる。
紀元前44年、19歳の若さでローマ元首(コンスル)に就任、最年少記録である。
紀元前31年、31歳の時にアクティウムの開戦で完全勝利しローマの人心を掌握に成功、
紀元前27年、35歳の時に万雷の拍手喝采の中ローマニア共和制復帰 治世57年
関連
次代☞ティベリウス
皇帝紫・・・アウグストォスが初めて用いた紫色のマント
月桂冠・・・元はギリシア文明(古代ギリシア)からの運動選手や英雄などがもちい、ローマでは執政者や将軍が用いた。ローマ帝国では『元首』などが用いたので皇帝の象徴
古代
ロムルス・アウグストゥルス・・・欧州での最期の継続ローマ皇帝
中世
クロヴィス1世・フランクの開王
アナスタシウス1世 ビザンツ皇帝 クロヴィス存命時のローマ皇帝、東西教会の分裂大シスマの時の皇帝
東西教会
フランク=ローマニア(俗称:フランク王国)