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6世紀の編集履歴

2024-06-02 22:43:29 バージョン

6世紀

ろくせいき

西暦501年から600年までの100年間。

西洋

中世ヨーロッパの初期。東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世イタリアと北アフリカのゲルマン系諸国家を滅ぼし、地中海世界に古代ローマ帝国の勢威を回復させるが、長い戦いでイタリアは荒廃し、帝国は戦役と黒死病で疲弊した。ユスティニアヌスの死後はサーサーン朝の侵攻や皇帝に対する反乱が打ち続き西方におけるローマの支配は一時的なものに終わった。


アジア

中国

南北朝時代からの中原統一までにあたる。


日本

考古学上の年代では古墳時代後期、歴史学上の飛鳥時代にあたる。


応神天皇の5世の子孫とされる越国出身のヲホドが継体天皇(天皇号自体は後世の諡号、本項の他の天皇号も同様)として即位し、朝鮮半島に度々出兵を行っていた。九州では527年から528年にかけ、半島出兵の負担への不満から磐井の乱が起こっている。


欽明天皇(継体天皇の子)の代に日本に仏教が伝来した(仏教公伝)。年については538年説と552年説に分かれる。仏教伝来と時を同じくして、前方後円墳はあまり作られなくなる。


この仏教を巡って、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏中臣氏が対立。最終的に587年に蘇我氏が勝利したことで仏教が広まるきっかけとなった。


その後、592年に蘇我馬子崇峻天皇(欽明天皇の子)を暗殺し、日本初の女帝推古天皇(欽明天皇の子で、崇峻天皇の異母姉)を即位させた。摂政に就任した聖徳太子と3人で約30年間に及ぶ治世が続くこととなる。


朝鮮半島

三国時代にあたる。


北の高句麗・東の新羅・西の百済の三国が争った。さらに南部の伽耶(任那)には多くの倭人が進出し、日本も百済と結んで新羅と戦うなど半島情勢に強い影響力を及ぼしていたが、伽耶は562年に新羅によって滅ぼされた。


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歴史 1千年紀 古代


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