概要
中国・四国地方で広島市に次ぐ二番目の大都市であり、政令指定都市に指定されている。
ちなみに東海道新幹線『のぞみ』が必ず停車する都市の中で人口が最も少なく、
唯一市町村合併支援プランによる指定都市である。
雨・雪は全国的に見て非常に少なく、1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。
倉敷市との関係
犬猿の仲として知られている。
しかし、岡山市とは人的交流に加え行政面でも密接な関係を持ち、全体的に岡山への通勤・通学者が圧倒的に多い。
だが、かつて倉敷市は代官所が置かれた天領、岡山市は外様大名(宇喜多氏→小早川氏→池田氏)の城下町であったという中心地域成立の歴史的違いによる対抗心も根強いものがある。
そこまで密接な関係であるのであれば当然合併構想は存在しており、
残念ながらそれは破談してしまった。(後述)
政令指定都市に降格した岡山
2009年(平成21年)4月1日に岡山市は新市町村合併支援プランによる指定都市(70万人をめどに移行容認)としてわずか約69.6万人で政令指定都市に移行した。
これは全国の政令市20市の中でもっとも移行時の人口が少ないものであった。
現在の岡山市は全国の政令市の中で19番目に人口が多く、人口は増加傾向にある。
実現しなかった大合併構想
1961年(昭和36年)岡山県知事だった三木行治が新産業都市の受け皿として、全国6大都市(東京都、大阪市、名古屋市、京都市、神戸市、横浜市の総称)に次ぐ大都市形成のため打ち出した岡山県南百万都市建設計画という計画が存在し、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による当時での人口が約90万人(その後の人口規模は約130万人に達している)の大規模な合併であった。
しかし、倉敷市長が年末年始に公印を持ったまま上京し一時失踪したり、元凶である三木知事の急逝もあり、構想は頓挫してしまった。
ちなみにこの構想が実現した場合、東京都と京都府同様、都道府県庁所在地に過半数の人口が集中することとなる。
大都会岡山って何?
最近政令指定都市に降格(しかも最少人口)したにも関わらずなぜか当市はネットで
大都会扱いされている。
この元ネタはアンジェラ・アキが発した事にネット住民が食いついたのが始まりである。
しかし、今の大都会岡山はあくまでもネットと公式の悪乗りが作り出した大げさな水増しで、
実際彼女が発した「大都会岡山」の意味は出身地徳島県から出て岡山県に引っ越した際、
徳島県とは劇的に違う街並みに魅了されて発しただけであり、
田舎の人が上京をした時、東京に魅了されるのと全く同じである。
要は彼女がすぐ隣の県の大都市、高松に引っ越していれば「大都会高松」、
神戸に引っ越していれば「大都会神戸」(こちらは国に認められた大都会の五大都市に
含まれているため、あまり違和感はない)なんてものが出来てもおかしくはなかったという
ことである。
ちなみに人口も目立った都市も岡山県より多い群馬県とは真逆の扱いを受けている。
この破格な地域差別に対して憤慨する人(特に群馬県にお住まいの方)は少なからずいると
思いますが、その際は"徳島県に比べたら"大都会岡山と覚えてその場をやり過ごしましょう。