このら抜き言葉、文法の乱れだとして否定的な意見もあれば、受身・尊敬の「られる」と区別できるとして肯定的な意見もある。
それでもなぜか「考える」を「考えれる」とはあまり言わなかったりする。
実態は「行かれる(ikareru)」⇒「行ける(ikeru)」となったような「ar」抜き言葉だとする意見もある。
派生表現
いずれも文法的には破格。
さ入れ言葉
①五段・サ変動詞の未然形につく使役形で、本来「ーせる」を用いるべきなのを「ーさせる」としたもの。「買わーせる・読まーせてもらう・参加さーせていただく」に対する「買わーさせる・読まーさせてもらう・参加さーさせていただく」。
②助動詞「ない」に「すぎる・そうだ」を続ける場合、「な」に直接つけるべきなのを「さ」を介して「ーなさそうだ・ーなさすぎる」としたもの。「つまらーなそうだ・知らーなすぎる」に対する「つまらーなさそうだ・知らーなさすぎる」。
れ足す言葉
五段動詞の可能形で、さらに可能の助動詞の「れる」を重ねたもの。「行ける・使える」に対する「行けれる・使えれる」。また、そもそも可能の動詞である「できる」を「できれる・できれたら」と使う例もみられる。
方言におけるら抜き言葉
標準語と文法の異なる方言においては、ら抜き言葉は何ら誤りではない(そもそも別言語であるため、標準語の文法や表現のマナーが適応されない)。
このような方言では、「ら」を抜くか抜かないかで意味が変わることが非常に多い。
例)いずれも両豊弁の場合
客観:ら抜きしない
- 賞味期限じゃきー、ほかるよ(賞味期限がきたので、捨てるよ)
- まだ食べらるるっちゃ!(まだ腐っていないから、食べられるよ!)
主観:ら抜きする
- 作りすぎたきー、ほかるよ(作りすぎたから、捨てるよ)
- まだ食べれるっちゃ!(まだ満腹じゃないから食べられるよ!)