概要
初代
もともとは1969年11月に放送を始めた、長時間のバラエティ番組。初回は2時間だったが、2回目以降は3時間番組として放送された。
ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」のテレビ版として制作したため、「オールナイトニッポン」のパーソナリティ陣の一人であった高崎一郎が司会を務め、こちらもニッポン放送の番組であった「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のパーソナリティを務めていた3人の女性タレントのモコ・ビーバー・オリーブがアシスタントを任されていた。しかもオブザーバーとして舟木一夫がこの番組にかかわっていた。
ただスポンサーが付かなかったため、放送時間は1時間30分→1時間と削減されてしまい、結局1971年12月31日の放送をもって終了を余儀なくされた。
ただし、1972年から1975年までの12月31日に、年末年始特番という格好で復活してはいる。
2代目
1983年4月から1991年3月まで放送された。
司会やリポーターを女性で固めた。特にリポーターを務めた女性は全て大学生であり、「オールナイターズ」と言う愛称が付けられた。ただしレギュラー出演者には男性タレントも少なからずおり、特にとんねるずはこの番組が出世作となった。
生放送というスタイルをとったのだが、実は開始時間こそ設定されてはいた一方、終了時間を決めていなかった(一応深夜3時30分には終わる設定ではあった)。
開始当初はアダルトビデオを紹介するコーナーやいわゆる風俗店をリポートするコーナーも存在したが、他の深夜番組の動向を睨み、ややソフトな扱いに切り替えた。ただこうした内容が衆議院でも取り上げられるほどに社会問題化したこともあり、これらのコーナーは結局廃止された。そのため一時「オールナイトフジII」や「新オールナイトフジ」に改名を余儀なくされたことがある。
また、石橋貴明がテレビカメラを破壊してしまったり松本明子がテレビで言ってはならない言葉を言ってしまい半年間謹慎に追い込まれるなど、生放送故の不祥事もしばしばあったという。
基本的には関東ローカルだが、石川テレビをはじめとするごく一部の系列局でも放送されていたことがある。また、1984年5月には火曜ワイドスペシャルの枠を借りる格好で全27局(当時)ネットで放送されたことがあった。
3代目
「オールナイトフジ・リターンズ」と言うタイトルで。1994年4月から同年9月にかけて、フジテレビと岩手めんこいテレビで放送された。
神田うのの芸能界での最初の本格的な仕事が、これの司会進行だったりする。
こちらも、FNSの日のプログラムの一環として、全てのフジテレビ系列局で放送されたことがある。
関連タグ
夕やけニャンニャン:本番組がベースとなっている
オレたちひょうきん族:「オールナイトひょうきん」というパロディーコーナーが存在した。
ドリフ大爆笑:加トケンナオコ司会の老人向け深夜番組(と言う設定のコント)「オールナイト不死」と言う形でシャレのめした。