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セモベンテ

せもべんて

イタリア陸軍で活躍した突撃砲である。 ちなみに、Semovente(セモベンテ)は日本語で自走砲のことであるが 突撃砲のセモベンテM40の代名詞として定着している。 本記事では、主にM40/41/42について説明したい
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概要

III号突撃砲の影響

ドイツ軍が開発し戦線へ投入したIII号突撃砲は、 従来の戦車車台を利用し、固定戦闘室に大口径砲を搭載した単純なものであったが、その単純さゆえに製造も容易で、しかも強力な火力を備えているため非常に有効な兵器であった。III号突撃砲の成功に刺激されイタリア軍でも同様の車両開発を行うこととし、M13/40中戦車の車体を利用して開発されたのがM40突撃砲である。

仕様

 M13/40中戦車の車台はそのまま、上部構造物を固定戦闘室に変更し短砲身75mm砲を搭載した試作車は1941年初頭に完成したが、制式採用はモックアップ審査が完了した1940年末時点であり、先行量産型の製造も1940年中に開始されていた。後にM14/41(M13/40後期型)、M15/42中戦車の 車台を利用したモデルも製作され、それぞれM41、M42突撃砲と呼称されている。

紆余曲折あって

 当初はドイツ軍の突撃砲同様に歩兵支援を主任務と考えられていたが、対戦車戦闘にも有効な車両であると認識されてからは火力強化のため長砲身砲を搭載することとなった。32口径75mm砲をM14/41中戦車の車台に搭載し たモデルM42(da75/32)が計画され生産に着手したが、すぐに高性能な34口径75mm砲が完成したため25両で生産はうち切られ34口径砲搭載のM42(da75/34)に生産は移行した(この34口径砲は P40重戦車にも搭載されている)。
 対戦車突撃砲の本命とも言えるM42(da75/34)であったが、生産着手は1943年に入ってからと遅かったためイタリアが降伏するまでに少数が製造されたに過ぎず、ドイツ占領後接収されたアンサルド工場ではドイツ軍の命令により生産が継続されたが生産スピードは低く、ドイツ降伏直前までに100両弱が完成したに過ぎなかった。

関連タグ

イタリア 突撃砲 自走砲

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