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ラクスシャルキ

らくすしゃるき

伝統的なガワジやミズマル:مزمارを原型とし ”そこへ西側からロシアバレエやラテンダンスにマーチングバンド等の異文化が影響することによって形成された”と考えられている。 また”大戦間期エジプトのキャバレーや初期のエジプト映画で踊られた”ということからすれば そのために生れた混合スタイルの舞踊とも考えられる

ラクス・シャルキ

近代ラクスシャルキは、エジプト映画産業の黄金期に活躍したサミア・ガマル、ターイヤ・カリオカ、ナイーマ・アケフ、他のダンサー等によって始まったものだが、1950年代頃にはエジプト舞踊の古典的スタイルと考えられるようになっていた。 これらダンサーたちを有名にさせた背景には映画以外にも、バディア・マサビニが1925年にオープンした「オペラ・カジノ」でのパフォーマンスが大きく関わっている。 このイベント会場には欧米から第一線で活躍する音楽家や振付師たちが訪れた。また当時の人気スポットでもあったので、斬新なアイデアを使ったパフォーマンスが次々と産み出され、多くのアーティストを育んで行った。そういう意味では、ここから新たにラクスシャルキの歴史が始まったと言ってもよい
その後、これらアーティストたちの影響を受けた新興ダンサーが現れ、すべては人々も知るところとなった。1960~1980年代に活躍した ソハイル・ザキ、フィフィ・アブド、ナグワ・ファウドなどは現在でも人気がある。そこで『古典スタイルとは何か』に対して疑問を投げかけた最初が、フルオーケストラやステージ・セットを使った舞台と振付けであった。

ラクスシャルキの基本的な動きは変わらないままだが、踊りの形式は現在も進化し続けている。 バレエの要素を取り入れることで知られるネリー・マズロームとマームド・レダは、現代エジプトのダンスシーンに強い影響を与えた。その影響力は、ルルベに立って(ア・テールからポアントまたはドゥミ・ポアントする:かかとを持ち上げること)回ったり、サークルや8の字を描いたりする今日のベリーダンサーたちの舞台にも見られる。


実社会


エジプトでは、結婚披露宴や祝賀イベントにはダンサーを呼ぶ慣習がある。こうした雇用ニーズがあるにも拘わらず、一般にベリーダンサーというとは良い印象を持たれていない、またこうした現状に対して、人々の認識を変えるための団体運動をいくつか試みてはいるものの、有名なプロダンサーでさえ、大抵のエジプト人は、それを卑しい職業だと見做している。またベリーダンサーは、衣装と振付を制限され、肌を露出させる衣装を着用することや床を使って踊るフロアワークなどは完全に規制対象となっている。当然ことだが、お腹を出して踊るダンサーは犯罪者として扱われ法的制裁を受けることになるが、この類の件は後を絶たない故に管理当局も頭を悩ましている。こうした理由もあって、現在エジプト政府が観光のために行っているイベントやホテルのラウンジからレストランのショーパブまで、そのほとんどのベリーダンサーは、エジプト以外のイスラム圏(特にレバノン)やヨーロッパ等の他の地域や国から来ている外国人である。

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