概要
前田家代々の家臣。
前田利家の父・前田利昌や、利家の兄で前田慶次の義父・前田利久に仕えたとされる。
天文10年(1541年)、尾張前田家の家老・奥村宗親の次男として生まれる。
主君利久の居城・荒子城の城代を務め、前田家の家督が利久から利家に移った際には、利家が入城しようとするのを頑なに拒んだという。
その後は能登の要衝・末森城を任され、佐々成政の1万5千の軍勢に攻められた際には僅か300の兵で城を守りぬいた鉄壁の将で、村井長頼と共に前田家加賀百万石の基礎を築いた重臣でもある。
妻は加藤氏の娘・安(つね)。子に栄明、易英、栄頼を授かる。
寛永元年6月12日(1624年7月27日)、84歳で没した。
呼称について
ちなみに「奥村助右衛門」の名は通称であり、本来の名は「奥村永福(ながとみ)」または「奥村家福」とも。通称も「助右衛門」もしくは「助十郎」とも呼ばれていた。
原哲夫の漫画『花の慶次 -雲のかなたに-』で有名になったこともあり、その影響で現在では「助右衛門」の名で呼ばれることが多い。Pixivにおいても同様で、投稿されるイラストのほとんどが同作の「奥村助右衛門」のものである。
『花の慶次』における助右衛門
ふわりとした髪型と中性的な顔立ちが特徴の美丈夫として描かれており、慶次がまだ前田家に身を置いていた頃からの心を許せる数少ない親友の一人。
その涼やかな顔立ちとは裏腹に、あの柴田勝家をして「沈着にして大胆」と言わしめるほど武に長けた人物でもあり、末森城の戦いでは駆けつけた慶次とともに獅子奮迅の働きをみせる。