概要
兄姉は言って聞かせずとも自然と弟妹を愛で、また近しい人の悲境には思わず共感してしまうものである。
このように人間にははじめから優れた道徳心が備わっている、というのが性善説である。
例えば、孟子は「人間には誰しも、惻隠の心(他人への同情心)が有り、これを教育によりのばせば儒教の徳目の1つである『仁』に発展する。同じように羞悪の心(悪事をやってしまった時に、それを恥じる心)は『義』に、辞譲の心(目上の相手に対して遠慮する事)は『礼』に、是非の心(判断力)は『智』につながっている。このように、人間が生まれ付き持っている性質をのばしてやれば、儒教の様々な徳目へと発展していくだろう」と説いている。
そして人はのびのびと育てれば勝手に善性が増していくのだから放任主義でやっていこう……という主義だと誤解されているが実際は真逆で、「生まれは善良でも放っておくとどんどん悪性を吸収してひどいことになってしまうので、しっかりとした教育が必要である」というのが性善説の趣旨である。
元々、論語に「性相近也、習相遠也(人間の生まれ付きの性質は誰も似ているが、後天的な学習・環境・習慣などにより大きな差異が生まれる)」という言葉が有るように、儒教には「後天的な学習や環境こそが、その人の善悪の性質を決める」と云う考えが有り、教育が重視されており「性善説」「性悪説」なども、この観点から解釈すべきであろう。
人間には優れた情緒など存在しないと切って捨てる『性悪説』とは始点が真逆であるが、「善性を身につけるためには適切な教育が必要である」という結論に至るのだから行き着くところはよく似ている。
つまり、性善説も性悪説も「人間は教育や環境によって、生まれ付き持っている性質が延びなかったり、生まれ付き持っていなかった性質を獲得してしまう事が有り得る」という前提は同じであり、「教育によって、人間が元々持っている好ましい性質をのばし、元々持っていない好ましくない性質を獲得するのを防ぐべきだ」というのが性善説で、「教育によって、人間が元々持っている好ましくない性質を押え、元々持っていない好ましい性質を獲得させるべきだ」というのが性悪説となる。
元々、『性善説』という言葉は、古代中国の儒家の一人孟子によって唱えられた言葉である。
孟子は孟母三遷の教えや、孟母断機の故事が伝わるように、特に教育熱心な母によって育てられたというエピソードが多く残る人物である。
それ故にか、孟子の思想は主に人間の教育とは何か?を主題としていることが多く、この性善説もその主題に沿って唱えられた思想である。
後に心理学者・経営学者のダグラス・マグレガーが提唱するXY理論の中のY理論に、性善説の要素が強く含まれている。