概要
日本国憲法は大日本帝国憲法の改正によってできた(改正有効論)というのが政府見解であるが、これについては「実質的な問題」と「形式的な問題」とがあり、制定当初から左右を問わず様々な立場から批判があった。
実質的には、日本国憲法は国民主権(国民に憲法制定権力があること)を前提としているため、欽定憲法である大日本帝国憲法の改正で国民主権の憲法を制定することは論理矛盾である(天皇の裁可で改正された憲法で国民に憲法制定権力があると宣言するのは理屈があわない)、と言ったいわゆる「憲法改正限界説」からの批判や、大日本帝国憲法の改正と言いながら実態はGHQによる押し付けであるという「押し付け憲法論」からの批判がある。
形式的には、日本国憲法は確かに大日本帝国憲法第73条の規定によって改正されたとして公布されているものの、同条は「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル」場合のものであって日本国憲法と大日本帝国憲法は表題を始め「条項」以外の部分も改変されているから同条の規定は該当しないということや、帝国議会はあくまでも「勅命ヲ以テ議案ヲ」提出された時に賛否を出すにも拘らず、実際には「議案を修正の上、可決」という同条に規定の無い方法で成立したということを始め、細かい手続き違反が多数指摘されている。
こうした穴だらけの政府見解に対して、憲法学の通説は「日本国憲法は憲法学上の革命によって成立した憲法である」というものである(革命有効論)。革命であれば憲法改正の限界を超えていても当然であるし、また憲法改正の手続きを必ずしも踏まえている必要はない。中でも有力なのは『ポツダム宣言』受諾の際に既に『大日本帝国憲法』の内容は実質的に改正されていたとする主張(八月革命説)である。この立場からは「明治憲法73条は「便宜借用」されたにとどまり,その手続による改正という形式をとったからといって,明治憲法から日本国憲法への「法的連続性」が確保されると考えることは,法的には不可能だ」(芦部信喜『憲法』)とされる。
一方、大日本帝国憲法と日本国憲法に「法的連続性」が無いという憲法学の通説は、あくまでも国民に憲法制定権力があることを前提とした「革命」を有効とする立場からのみ、成立する。そうでない立場からは国民主権に基づく革命は無効であり、事実海外においてもイギリスやフランスの王政復古の際には革命憲法の無効が宣言されていた。憲法無効論もこうした海外の王党派の主張と軌を一にしていると言える。
憲法無効論には国会議員や国会議員経験者に限定しても、自由民主党の西田昌司、立憲民主党の小沢一郎、新党くにもりの安藤裕、祖国再生同盟の西村眞悟を始め与野党を問わず多くの政治家から支持されている。但し、例えば小沢一郎は「純粋法理学的に見れば」と前提詞を付けており、多くの政治家は現実に大日本帝国憲法をそのまま復活できるとは考えていないが、大日本帝国憲法を復元した上で時代に合わせて改正するという「正統憲法復原・改正論」は祖国再生同盟や維新政党・新風、日本国民党と言った右派団体から提唱されている。
旧無効論(完全無効論)
日本国憲法は完全に無効であるという主張。「占領行政基本法」に過ぎない、と言った主張も見られる。しかしながら、現実に日本国憲法を完全に無効にしようとしている政治家や政治団体は殆ど無い。
新無効論(真正護憲論)
日本国憲法は憲法典ではなく講和条約として有効であるという主張。この主張の場合、日本国憲法の規定の大部分や日本国憲法下で成立した法令は有効となり、法的安定性は担保される。現在の憲法無効論者の多くはこの立場である。