拉薩
らさ
本市の中心部に設置された城関区は、古くからチベットの政治的、文化的中枢であった古都・ラサであり、吐蕃王朝やダライ・ラマ政権の時代には首都がおかれた。この古都はチベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢都市であった。
中華人民共和国が1956年に設置した西蔵自治区籌備委員会(チベット自治区準備委員会)はこの市に本拠を置き、1965年に発足させた西蔵自治区の首府にもなっている。
総面積3万平方キロ。人口87万人、非農業人口14万人。チベット族が87%を占める。
チベット語でラ(ལྷ,lha)は神もしくは仏、サ(ས,sa)は土地を意味し、「聖地」を意味する。
7世紀前半、吐蕃のソンツェン・ガンポの時代にチベットの都と定められた。9世紀に吐蕃が崩壊して以後、チベットの政治的中心は、時期ごとの覇者たちの本拠に転々と移動したが、トゥルナン寺を有するラサの宗教的中心地としての地位は不動であった。
17世紀に発足したガンデンポタン政権の時代(1642―1959)に再びチベットの政治的中枢の所在地となった。ガンデンカンサル宮、ポタラ宮、ノルブリンカ宮などの施設は、この政権の時代の行政機構の拠点として建設されたものである。
中華人民共和国は1951年に人民解放軍をラサに進駐させたが、ガンデンポタンとの間に締結した17ヶ条協定に基づき、引き続きガンデンポタンによる統治が継続した。1959年にチベット動乱がラサにまで波及、ダライラマとガンデンポタンはチベットを脱出、中国政府は「原西蔵地方政府(=ガンデンポタン)の廃止」を布告、ガンデンポタンの管轄下にあったチベットの西蔵部分に対する統治に乗り出し、ガンデンポタン時代の行政区画を改廃し、翌1960年、古都ラサとその近隣地方をあわせて「地級市」ラサ市を設置した。
1986年以来対外開放され、テレビ塔も建つなど西部大開発が進められ、次第に観光都市として発展している。