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朔乱

さくらん

朔乱とは、ブラウザゲーム文豪とアルケミスト(文アル)内のキャラクター萩原朔太郎×江戸川乱歩のカップリングを主に指す。
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概要編集

朔乱とは、文豪とアルケミスト(文アル)内のキャラクター萩原朔太郎×江戸川乱歩のカップリングを主に指す。

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以下、ゲーム内のネタバレあり




ゲーム内の関係編集


萩i原i朔i太i郎、江i戸i川i乱i歩は互いに手紙を送り合っている。

萩i原から江i戸i川に充てた手紙によると、「数少ない趣味友達なので話すと楽しい、トリックも頑張って練習します」とあり、江i戸i川から萩i原に充てた手紙には「教えたトリックの練習を頑張っているようで何より、根気強く続けて、自分を驚かせてほしい」とある(手紙の内容は意訳。実物は各自確認のこと)。

というか江i戸i川からの手紙、よく読むと「貴方は不器用だからちょっと大変だと思うけどめげずにがんばれ☆」という内容なので、優しいのか酷いのか分からない。


また、オフィシャルキャラクターブックにおいても、江i戸i川i乱i歩の人間関係の中で「マジック仲間」と相互矢印で表記され、良好な関係が窺える。



史実での関係編集

江i戸i川i乱i歩側の記述編集

萩i原は『探偵趣味』という雑誌の大正十五年六月号に「探偵小説に就いて」という文章を掲載しており、そこに「江i戸i川i乱i歩氏の単行本を買って読んだ、二銭銅貨とかは趣味に合わなかったけど「赤い部屋」めちゃくちゃ面白くて彼を好きになった。あと「人間椅子」は近頃読んだものの中で一番だった(意訳)」と書いており、それを江i戸i川は自伝『探偵小説四十年』で引用している。


しかし、実際に二人の交友が始まったのは五年後の昭和六年(大正十五年は昭和元年である、念のため)の秋であった。

浅草の木馬館で、萩i原が木馬、江i戸i川が自動車に乗っている。

この時、萩i原の方から、恥ずかしがっている江i戸i川を木馬に誘ったらしい。その後、公園の茶店で茹で卵とお茶を楽しみながら通行人を眺めたりパノラマの話をしたりした、と続く。

これが二人の初会合である。


その後、昭和九年か十年に萩i原が江i戸i川の家(池袋に現在も残っており、大学の管理で一般公開も行われている)に訪問しており、江i戸i川が土蔵兼書斎兼客間に通したところ屋根裏とか船室みたいで面白いと萩i原は楽しんだとある。

江i戸i川は、年上で尊敬する詩人を先に家に呼びつけた形になったのを恐縮していたようだが、二人は酒を呑みながら怪奇について大いに語り、また、萩i原は「パノラマ奇談(自伝ママ)」を褒めたとのこと。

それ以来、萩i原は著書が出ると江i戸i川に贈るようになり、江i戸i川は自装した萩i原の作品を愛読したらしい。

恐らくその本の数々は今も土蔵の中にあるはずである。

あとこの時萩i原が結城紬の羽織を着ていたのを覚えているのは一体何。


更にそれ以降は新宿などで落ち合っていずこともなく彷徨い歩いたらしいが、萩i原は酒豪、江i戸i川は体質的にあまり呑めなかったので萩i原に酒が入ると気詰まりになりそこがしっくりこなかったとある。

自分が酒飲みならもっと付き合いも親密であっただろうし、今(自伝執筆時点)は彼の存命中よりも酒が呑めるようになったから今ならもう少しお付き合いできるのだが、と述べている。


また、大抵は電話で打ち合わせてどこかで落ち合う形で遊びに出かけていたのでお互いの家に行ったのは数えるほどしかないと記述があるが、お互いの家に行ってるんかい……。

萩i原の告別式にも江i戸i川は参列しており、しかし家族とほとんど口を利いたことがなく、萩i原の他の友人との付き合いもなかったので気詰まりであったという。

以上が自伝より確認できる記述である。


江戸川乱歩未発表原稿「独語」にも萩原に関する記述がある。

萩原より贈られた本についての感想や共感、批評と共に、「彼の孤独性は僕よりも深いが大変似ている。でも彼には酒があるという点で大きく違う」と述べている。


なお、評論集『げんえいじょう(全部漢字)』に萩原の『ねこまち(全部漢字)』のことを書いている。江戸川は萩原よりこの本を贈られており、愛読していた。それは「こよなく愛している」とか、萩原の他の詩集やアフォリズムと同じくらい、或いはそれ以上に愛していると言い切るほどである。



萩i原i朔i太i郎側の記述編集

萩i原が江i戸i川に関して述べた記述は先述の『探偵趣味』以外では確認されていないが、書簡が残っている。

『萩i原i朔i太i郎全書簡集』によると、萩i原が江i戸i川に最初の手紙を出したのは昭和六年の十月頃(何日かは不明)のこと。

手紙の内容を意訳すると、「初めまして、面識はありませんが貴方の愛読者です。貴方に教えていただきたいことがあるのですが、手紙では話しにくいので、会って直接相談したいです。つきましてはご都合のいい日時と貴方の家までの道筋を教えてください。どうか会ってください」というものであった。

会ったこともないのにいきなり家に行こうとするな。


その後、どういった返信があったか、江i戸i川の方の書簡が残っていないため不明であるが、浅草で初会合をしたのは前述の通り。

浅草で過ごした後、江i戸i川の元に萩i原から礼状が届く。

それには「面白い場所を案内してもらって、しかも奢ってもらってありがとうございました。実は秘密マッサージ倶楽部を紹介してもらいたかったんですけど、貴方と過ごしてる方が面白くて相談するのを忘れてました。普段、同じ趣味の友達がいなくて寂しい思いをしていたのですが、貴方という知己を得てとても嬉しいです。マッサージの件はどうでもいいので、今後とも仲良くしてください。ユーカリ(ゲイバー)も面白かったです。今度、稲i垣i足i穂くんを紹介します。あと自分ちにも遊びに来てください」とある(意訳)。

萩i原からの手紙の元ネタは恐らくここであろう。

手紙では言いにくいから会いたいとまで言っていた口実のマッサージの件はどうでもいいってそれ元々本人目当てだったのでは疑惑が浮上する内容である。


以降は直接会ったり電話をしたりと親交を深めつつ手紙での往来も続いたらしく、現存する中で最も新しいものは萩i原の没年約一年前、萩i原が所属するアマチュアマジシャンズ倶楽部の公演チケットを送ったから来てほしい、自分はステージには出ていないが客席で会えると思う、という内容のものであった。

手紙は突然宛名が「平i井i太i郎様(江i戸i川i乱i歩の本名)」になったり、萩i原の出す個人同人誌への寄稿依頼が書かれていたり(結局寄稿はなかったようである)、互いの著作の批評をし合っている形跡があったりと、二人が趣味の仲間として交流を深めていく様子が垣間見える。

萩i原も、江i戸i川が酒を呑めないことを残念がっていたのと、また、稚児趣味が理解できないのも寂しいと書いている。

また、アマチュアマジシャンズ倶楽部に入会した時は「自分の下手な手品を見てほしいから家に行きます」と書き送っており、ゲーム内の手紙の元ネタの一つとなっていると思われる。

というか萩i原は江i戸i川の家に行きたすぎである。


その他編集

二〇一六年、前橋文学館にて、萩i原i朔i太i郎生誕百三十年を記念して「パノラマ・ジオラマ・グロテスク -江i戸i川i乱i歩と萩i原i朔i太i郎展」が開催され、両者の交流の様子が窺える展示や、二人の孫の対談が行われた。


ただし編集

江i戸i川i乱i歩は「稲i垣i足i穂くんに萩i原i朔i太i郎さんを紹介されたんだけど、いつも萩i原さんと一対一で会っていて、稲i垣くんと一緒にいた覚えがないし、最初に会った時も萩i原さん一人とだけ会ったから、稲i垣くんは橋渡しだけしてくれて後は彼の単独行動だったのかな」と自伝に書いている。

後で自ら「稲i垣くんから萩i原さんを紹介されたと思ったのは自分の勘違いで、実際は萩i原さんが稲i垣くんを紹介してくれたんだったっぽい。稲i垣くんがそういう内容の随筆書いてるからそっちが正しいと思う」と訂正しているが、萩i原は怒って良い。


つまり編集

朔乱はいいぞ。

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